キヤノンは5月1日、御手洗冨士夫会長兼最高経営責任者(CEO、84)が社長を兼務した。御手洗氏の社長登板は異例中の異例の3度目となる。真栄田雅也社長兼最高執行責任者(COO、67)は健康上の理由で退任した。「病気の治療に一定期間を要する」として真栄田氏から退任の申し出があり、同日の取締役会で決議した。真栄田氏は非常勤の技術最高顧問に就く。新型コロナウイルスの影響で主力の事務機器やカメラの販売が落ち込むなか、御手洗氏は事業環境が落ち着くまで社長を兼務し、陣頭指揮に当たる。
キヤノンは2016年、指名・報酬委員会を設置しており、後任社長は社外取締役を中心とした同委員会で決める。同委員会は御手洗CEO、社外取締役の元大阪高検検事長の齊田國太郎氏(77)、元国税庁長官の加藤治彦氏(67)、社外監査役の田中豊弁護士(76)の4人で構成。齊田氏と加藤氏は「元顧問」で独立性が求められる社外取締役として適格かどうか疑問視する向きがある。社外取締役、社外監査役は事業に精通していないから、結局、後継社長は御手洗氏の一存で決まることになろう。
再び「ポスト御手洗」課題になるが、後継者を育ててこなかった大きなツケが回ってきた。
御手洗氏は1935年大分県佐伯市の出身。大分県立佐伯鶴城高校から大学受験のため東京都立小山台高校に転校。61年、中央大学法学部を卒業。同年4月、叔父の御手洗毅氏(元産科婦人科医)が創業者の1人だったキヤノンに入社。同社が本格的に米国に進出するに当たり米国に渡った。23年間米国に駐在し、後半の10年間はキヤノンUSAの社長を務めた。
95年、第5代社長を務めていた毅氏の長男の肇氏(マサチューセッツ工科大学大学院で電子工学を修めた技術者)が急逝したため、第6代キヤノン社長に就任。2006年までの11年、社長として経営を主導した。
社長時代の実績は申し分ない。米国仕込みの「事業の選択と集中」を実践。パソコンなど赤字事業から撤退し、プリンター向けのインク、カートリッジなどオフィス機器とデジタルカメラに経営資源を集中した。デジカメでは世界ナンバーワンになった。
社長在任中に連結売上高は1.5倍、営業利益は2.6倍に拡大。売上高営業利益率は15.5%と欧米の有力企業に引けを取らない水準に到達した。この間、株価は4倍強に跳ね上がった。製造業の株式時価総額ではトヨタ自動車に次いで第2位になったこともある。米ビジネスウィーク誌の「世界の経営者25人」に選ばれ、御手洗氏は名経営者と賞賛された。
06年5月、IT業界初の日本経団連会長に就任するとともにキヤノンの会長になった。このあたりから経営がおかしくなった。第7代社長には内田恒二氏が就任した。内田氏は京都大学工学部精密工学科を卒業した技術者だが、佐伯鶴城高校の後輩。財界活動に軸足を移している間に実権を奪われないように、同郷で高校の後輩の内田氏を起用したといわれた。
名声が地に堕ちる出来事があった。09年2月に火を噴いたキヤノン大分工場の建設を巡る裏金事件だ。コンサルタント会社大光の大賀規久社長が大手ゼネコンの鹿島建設の裏金を手にし、法人税法違反(脱税)で逮捕された。
鹿島はキヤノンの子会社から大分工場の土地の造成や建設工事を請け負ったほか、川崎市のキヤノン研究所工事を受注した。総額で850億円のビッグプロジェクトである。大賀氏は、これら事業を鹿島が受注できるように仲介した見返りに、大光などグループ会社3社を受け皿に34億円の資金を受け取っていた。これら脱税資金を元手に親族名義で30億円相当のキヤノン株式を購入していた。