売上7兆円企業グループ・ロッテ、創業者の哀れな最期…息子同士が経営権争いで醜態晒す

 7月3日の面談とは、先述したとおり、武雄氏が佃氏に対し解任を申し渡した日のことである。佃氏としては、宏之氏の解任を指示された2014年秋の武雄氏は正常な判断力を持っていたが、1年近く経った2015年夏にはそれが跡形も亡く失われていたということらしい。ただ、先述したように2015年夏のやりとりについては、確かにぎこちなく感じられる箇所があるものの、正常な判断力が失われていたとまでは考えにくい。要は自分の都合がいいように武雄氏の判断力を論じているにすぎない。

 もっとも、都合のいい解釈はロッテHDに対する株主提案のたびに武雄氏を取締役候補に含めていた宏之氏側にも一部当てはまる。高齢の武雄氏に記憶力などの衰えがあったことは間違いなく、もはや経営の一線から退くべき人物だったと見なさざるを得ないからだ。

後継体制の確立に失敗したカリスマ経営者

 韓国における後見審判に話を戻せば、翌2016年8月、ソウル家庭法院は武雄氏の限定後見を決定している。ただ、これに対抗して宏之氏は同年12月に任意後見への切り替えを申し立てた。言ってみれば、後見手続きを自らが有利に運ぼうとの綱引きが行われたわけだ。結局のところ、武雄氏の認知症がいつ頃からどの程度進んでいたかの正確な医学的事実関係はよくわからない。

 武雄氏がロッテHDで再任されず、グループ会社すべての取締役から外れたのは2017年6月のことだった。そして2年半余りが経った今年1月、ついに永眠した。

 カリスマ経営者は自らの手で後継体制を整えることができず、引き際を見定めることもできなかった。売上高が約7兆円に上る巨大企業グループでありながら前近代的なコーポレートガバナンスがずるずると続いた。そして、それが巨大財閥の承継をめぐる息子同士の対立や、さらに2人の夫人と腹違いの娘たち、そして親戚をも二分する骨肉の争いの原因となり、最後は自身の恥をさらすような後見手続きをめぐる騒動に発展した。自らが蒔いた種とはいえ、これを悲劇と言わずしてなんと言い表せばいいのだろうか。

(文=高橋篤史/ジャーナリスト)