不安があるのは、生きている証拠。不安が全くない人がいるとしたら、死んでしまった人だけでしょう。
また不安は、避けるべき危険を察知するためのサインの役割も果たします。それは人間が生まれ持った習性であり、私たちが生きるために必要なものでもあるのです。
つまり、不安や悩みのない人は、いないのです。しかしながら、その不安をむやみに大きくしてしまう人と、小さくとどめておける人がいるのも、また確かなことです。
2人の違いは、どこにあるのでしょうか。
それは、不安を転がす人と、不安を転がさない人の違いです。
不安というものは、雪だるまに似ています。
はじめは、手のひらにのる程度の小さな雪玉かもしれません。しかし、それを雪の上で転がしているとみるみる膨らんで、両手でも抱えられないほどの大きさになる。そこがもし坂道だったら、人間ひとりの力では、もう止めようがありません。
不安も同じです。
例えば、社長との面談を前に「どんな話をすればいいのかな。社長に失礼のないようにしないと」。あるいは、メールを送信した後に「相手が気分を害するようなことがなければいいけど」。
このぐらいの不安なら、誰にだって心あたりがあるでしょう。また、前もっていくつか話題を用意しておく、相手と直接話をして様子を見るなどの対策を事前に講じれば、それで済む話です。
ところが、考えすぎてしまう人たちは「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」と際限なく考え続けている。これが「不安を転がしている」状態です。
あれこれ考えなければいいと頭ではわかっているのに、考えないではいられない。一度坂道を転がりはじめた雪だるまを止められない。こうなると、身も心も重たくなる一方です。
1つや2つの不安ならまだ辛抱できるかもしれませんが、心配性の人というのは一事が万事です。
ついには、日常の些細なことにまで不安を感じて、やらなければならない仕事が手につかなかったり、人の目ばかりを気にしたり。余計な不安を抱えず、ただ前を向いて生きる。それだけのことができなくなってしまうのです。
では、どうしたら不安を転がさないでいられるのでしょう。
それは「今、この瞬間」を生きることに尽きます。
不安の出どころについて考えてみてください。不安とは、今よりも少し先の未来を思い煩うから生じるもの。現実には何も困ったことは起きていないのに、「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」と余計な気を回すから不安になるのです。
人間の頭は「今、この瞬間」のことだけを考えて生きるには、少し賢すぎるのだと思います。しかし、そこで生じる不安は、言うなれば、妄想、思い込み、取り越し苦労の類で、実体がありません。
私は過去に『心配事の9割は起こらない』というタイトルの本を執筆しましたが、人生とは思いのほか「なんとかなる、どうにかなる」もの。そうした不安が的中することはほとんどないのです。