禅が教える「ずっと不安が減らない人」の根本原因

それならば、「今、この瞬間」をひたすらに生きることです。何が起こるかわからない未来のことは横において、今この瞬間、自分がいるその場所で、できることを精一杯やるのです。

残り1割の心配事が的中したらどうするんだ」ーーそう言いたくなる方もいるかもしれませんが、大丈夫です。いざその時がきたら「今、この瞬間」に集中できるに決まっているからです。

例えば、家が火事になった。燃え上がる炎を前にしたら、必死で逃げるか、消火活動をするか、いずれにしても「今、この瞬間」のことで頭が一杯になり、不安など感じる暇はありません。

そして、そんなときにこそ人間はものすごい力を発揮するもの。火事場の馬鹿力とは、「今、この瞬間」を全力で生きる人間の「なんとかする」力のことをいうのでしょう。

では、どうしたら、不安を転がさずに生きることができるのか。どうしたら、「今、この瞬間」を生きられるのか。
 そのための知恵が、禅にはあります。

考えるより「動く」のが先

例えば、禅に伝わる「丹田呼吸」はいい訓練になります。「ふう~~~~」と息を長く吐いて、それからゆっくり息を吸い、息をおへその下まで落としていきます。

心が乱れているときは、呼吸も乱れているもの。しかし反対に、呼吸を整えることで、心が整い、不安を遠ざけることができます。

とにかく今すぐ動きなさい、今すぐ動けば不安は消える」という教えもあります。これを「禅即行動」といいます。

以前、私のお寺に元引きこもりの青年が掃除にきていたことがあります。一度は就職したものの人間関係に悩んで退職。それから部屋に閉じこもって考え事をしているうちに、身動きがとれなくなってしまったそうです。

しかし青年は、暑い時も寒い時も掃除をして汗をかきました。そのうちに、心をとらえていた不安が和らいでいき、半年もしないうちに社会復帰できました。

考えることは大切、けれども、動くことも同じぐらい大切。文武両道の言葉の通り、 文と武、頭と身体がバランスよく働かなければ、人は前に進めないのです。

不安を転がさず、「今、この瞬間」を生きる。それができたら、人生の9割は所詮小さなことだと、らくに構えていられるでしょう。

もっとシンプルに、不安を「放っておく」ことから始めてみるのもよいでしょう。

私たち禅僧は「非思量(ひしりょう)」になることが大切だと教わります。

非思量とは、とらわれているものをなくし、心を無の状態にすることです。イライラもクヨクヨも、頭を空っぽにすれば消えゆくのみ。理屈としては、そういうことになります。

「でも『何も考えてはいけない』と思えば思うほど、考えてしまうんです。消そう消そうとしても、邪念で頭がいっぱいになるんです」

確かにその通りです。例えば「明日までに仕上げないといけない重要書類のことは絶対に考えないでください」と言われたら、その書類のことばかり思い浮かぶはず。

それは、イタズラするなと叱られた子供がかえってイタズラしたくなるのと同じ理屈です。イライラクヨクヨしたくない、穏やかに生きたいと思えば思うほど、イライラクヨクヨが長引くのも、こうした心の働きによるものなのでしょう。

「ああ、イライラしているな」だけでいい

第一、人間ならば、イライラするのもクヨクヨするのも当然のこと。

喜怒哀楽によって大きく心が揺れるのも、また当然のことです。そうでなくては、生きる喜びも、人間としての成長も味わえません。感情は、人間が生きている証そのものです。

ただし、そうした感情に心が囚われ、余計な不安や心配を抱えるようでは、いけません。せめて感情の揺れの幅を小さく、一度揺れてもすぐにニュートラルな状態に戻すよう努めましょう。