筆者の経験では、こうした事態が加速したのは、新型コロナウイルス感染問題の前後あたりからだ。
コロナ禍の2020年4月、テレビ放映されたアニメ「サザエさん」でゴールデンウィーク中の外出が描かれていたことが「不謹慎」とされて“炎上”が起きた。東京大学の鳥海不二夫教授(当時は准教授)の分析によると、この番組内容に関するX(当時はTwitter)上の批判的な投稿は少数だった。しかし、デイリースポーツがそれを“炎上”として報道(後で訂正はしたが)し、この記事が拡散されたことにより、炎上したのが事実であるかのようなイメージが定着していってしまったという。
ネットメディアは、この事例を真摯に受け止めることなく、依然として“炎上”を作り出し続けている。その傾向はさらに加速している。
ドラマの中身の話題に戻ろう。
山本耕史が演じるテレビ局のリスクマネジメント部長・栗田一也は、アナウンサーの不倫問題について、次のように語っている。
「もはやテレビが向き合う相手は視聴者ではない。見ていない連中なんです」
「見る人はまだ好意的、見ないで文句を言う人間には最初から悪意しかない。これがバッシングの実態です」
このセリフも、非常に現代の炎上問題の本質を突いている。
1. 問題とは直接関係がない第三者が声高に批判を行う
2. 批判をする人の多くは、事態を正しく把握・理解していない
3. 一見すると正義感から批判しているように見えても、裏側には悪意がある(あるいは日頃の鬱憤を晴らすために無関係な他者を叩いている)
というのが実際のところだ。
前に筆者が書いた、キリン氷結無糖の成田悠輔氏の広告取り下げ問題(キリン氷結「広告取り下げ」に見る"空気感の変化")についても、批判をしている人の大多数は、成田氏が問題発言を行ったとされるABEMA Primeの番組を視聴はしていないし、発言の文脈を踏まえてその内容が不適切か否かを判断しているわけでもない。「不買運動」を呼びかけている人たちも、実際に商品を買っている、あるいは買う可能性がある人たちなのか否かも定かではない(大半は購入者、購入予定者ではないと思われる)。
こうした“炎上”に対して、果たして当事者はどれだけまともに取り合う必要があるのだろうか?
現代はコンプライアンスが重視される時代ではあるが、過剰な批判が起きて炎上に至ってしまう現状と、コンプライアンス社会とは区別して考えるべきだろう。
実際に“炎上”が起きた際には、次の4つの視点から対応策を講じる必要がある。
まず、1と2について考えよう。批判が巻き起こると、それに右往左往してしまいがちだ。しかし、冷静になって批判の内容が本当に問題の本質を突いているのかを考える必要がある。当事者でもなく、事情を知っているわけでもない第三者の批判は、得てしてピント外れのことも多い。そうした批判を真に受けていては、身が持たない。
問題の本質が確認できれば、おのずから3の向き合うべき相手が誰なのか、4の向き合い方も見えてくるだろう。
ドラマで描かれていたアナウンサーの不倫問題は、究極的には夫婦間、あるいは家族内の問題である。家族内の問題が解決できているか否かが重要なことだ。一方で、アナウンサーは公共の電波を通じて多くの人々に情報を送り届ける役割を果たしているため、視聴者の反応も無視できない。