「筒井康隆が受け入れられた背景でいえば、『時をかける少女』も、今発売されていたらきっとブルーライト文芸っぽい表紙だったと思います」(ぺシミ氏)
このように、TikTokとも連動して、それまでブルーライト文芸的に扱われていなかった作品が、ブルーライト文芸的な趣を持って再出版されることも、今後はあり得るのではないかとぺシミ氏は指摘する。
「『世界の中心で愛を叫ぶ』なども、見方によってはとてもブルーライト文芸的です。本多孝好『MISSING』など、loundrawさんが文庫版のイラストを描いたことで、結果的にブルーライト的文芸的な感性に接近した作品もあります。
それこそ『時かけ』も新装版で出たら、loundrawさんがイラストを描いているかもしれませんね」
前編でも確認した通り、日本の文学作品にはストーリー展開においてブルーライト文芸的な趣を持ったものも多い。
そうしたものが、これから遡行的にブルーライト文芸のように括られる可能性もあるのだ。
このように中高生から受け入れられやすいキャラクターやイラストを用いて、文学への間口を広げているブルーライト文芸。
インタビューでは、ブルーライト文芸に見られる「エモい」という感覚にも言及があった。それらの文芸作品が持っている表紙は「エモい」ものとして語られがちであるし、ブルーライト文芸に大きな役割を果たした新海誠の作品は「エモ」という感性を広げるにあたって大きな役割を果たしたこともある。また、消費文化の側面では、近年若者の新しい消費形態として「エモ消費」という言葉が生まれている。
いずれにしても、ブルーライト文芸のムーブメントを読み解くにも、この「エモい」という感情を理解することが、一つの重要な手がかりになるだろう。
今、書店の棚をにわかに賑わせている「ブルーライト文芸」。そこには、現代の若者のニーズや、社会の変化が確かに刻まれているのである。