なんらかのプロジェクトを引っ張るリーダーの立場になったとき、つねにつきまとうのが「慕われるリーダー」になるべきか、「恐れられるリーダー」になるべきかという論点です。
このトレードオフはさまざまな言い回しで言及されます。リーダーシップには「情」と「理」が必要、という主張も同様のトレードオフを前提にした主張でしょうし、日本のリーダーシップ論の開祖と言ってもいい三隅二不二先生は「組織メンテナンス重視」のリーダーと、「パフォーマンス重視」のリーダーという枠組みで整理しています。
「慕われるリーダー」と「恐れられるリーダー」のどちらが「いいリーダー」なのか。両者を比較して「恐れられるリーダーになるべき」と主張したのはルネサンス期の政治哲学者ニッコロ・マキャベリでした。マキャベリは、当時のイタリアの政治家や軍人が、キリスト教が唱える道徳と外交・行政・軍事における判断を混同しているから弱いのだと指摘しました。
筆者が勤務していたヘイグループは40年以上にわたって世界中の組織のパフォーマンスとリーダーの言動の相関についてデータを集積しています。そのデータから、統計的に残酷なほどにはっきりと出ているのは、「慕われるだけのリーダー」でも「恐れられるだけのリーダー」でもダメで、両者を高次元でバランスさせているリーダーこそ、いいリーダーだということです。つまりマキャベリは誤っていた、ということです。
これまでの組織研究からわかっているのはこうです。「慕われるだけのリーダー」だと、どうしても成果・業績を追求していこうという規律、わかりやすく言えば「士気」が低下してしまい、業績は低下することが統計的にはっきりとわかっています。
一方、「恐れられるリーダー」の場合、成果・業績を追求していこうという規律は高まるものの、メンバーは萎縮し、チームとしての一体感が低下して活力は低下し、短期的にはともかく、中長期的には同様に業績は低下していくことがわかっています。
付け加えれば、この「恐れられるリーダー」のスタイルでチームを牽引できるのは、せいぜい課長クラスまでだということもわかっており、このスタイルを多用して組織を引っ張っていくタイプの人は、キャリアの途中で大きな壁にぶつかることが多いようです。
「慕われるリーダー」と「恐れられるリーダー」と聞けば、両者は二律背反するトレードオフの関係であるように思われるかもしれません。しかし、数多くの研究やこれまでのデータは、両者は必ずしも背反しているわけではなく、両立することが可能であり、両者を高次元で両立したリーダーこそが、極めて高い業績を継続的にあげるということを示しています。
ところで、企業のリーダーシップ開発をお手伝いしていて、若手のエースといわれる人たちにカウンセリングすると、結構な頻度で「最近、いわれのない誹謗中傷を会社内で流されてとても傷ついた」といった悩みを打ち明けられることがあります。そういう時は、自分の経験もお話ししたうえで、「ああ、それは大抜擢が近い、ということですよ」と回答して元気づけるようにしています。