組織内で渦巻くビジネスパーソンの嫉妬には恐ろしいものがあります。活躍すればするほど、周囲の、それも優秀な人が嫉妬にからめとられて、過去の失敗や噂をほじくり返してネガティブなキャンペーンを張ろうとします。
この時、多くの才能ある若手がまさに「一頭地を抜く」タイミングで、「嫌われたくない」という感情にとらわれてしまい、自分の行動にブレーキをかけてしまうのです。この「嫌われたくない」という心理的なブレーキこそが、日本でなかなかリーダーシップが根付かない最大の原因の1つだと、筆者は考えています。
多くの人が誤解しているのですが、リーダーシップは「嫌われる」ことと表裏一体の関係にあります。たとえば、リーダーシップ開発のワークショップで「過去の歴史から、素晴らしいリーダーシップを発揮したとあなたが思う人を挙げてください」とお願いすると、まず間違いなく下記の人物が含まれることになります。
こうして並べてみると、なるほど確かに「変革を主導した志士」として、いずれ劣らぬリーダーシップを発揮したという点で共通しているのですが、一方で別の共通項があることにも、すぐに気づくはずです。
そう、全員暗殺もしくは処刑されているのです。
つまり 「殺したいほど憎い」と多くの人に思われていたということです。過去の歴史において最高レベルのリーダーシップを発揮して世界の変革を主導した人物の多くが、他者から殺害されているという事実は、我々に「リーダーシップというのは、崇敬とか愛着とか共感といったポジティブな感情だけではなく、必然的に軽蔑とか嫌悪とか拒否といったネガティブな感情とも対にならざるをえないものなのだ」ということを教えてくれます。
筆者は著書『外資系コンサルの知的生産術』において、何か極端なものが存在する場合、それとは真逆のものが背後には潜んでいる、という経験則の存在を指摘しました。
大いなる愛情と大いなる憎しみは、心理学的に言えば共に「転移が発生している」状況として整理されます。「大いなる愛情」の真逆は、本来「大いなる憎しみ」ではなく、転移の解除、つまり「無関心」ということになりますが、優れたリーダーに与えられる大いなる尊敬や愛情というのは、同量のエネルギーを持つ軽蔑や憎しみと表裏一体のものなのです。
ということはつまり、リーダーとして高いパフォーマンスを挙げようと思うのであれば、どこかで周囲から寄せられる「ネガティブな感情」について、受け入れるかどうかはともかく、少なくとも存在を認めたうえで無視する一種の 「鈍感力」 が必要なのです。
この点にこそ日本におけるリーダーシップ開発のボトルネックがあると筆者は思っています。
「嫌われること」を避けるために、どれくらいの人が、自分の思いやビジョンを封印して可能性を毀損してしまっているかを考えると残念でなりません。
幕末の変革を幕府側から主導した勝海舟は次のように述べています。
つまり 「敵がいないリーダー」など有りえないということです。変革には必ず既得権や既成概念の破壊を伴うから、過去のシステムによって利益を享受していた人を敵に回すことになる。つまり「嫌われること」を恐れていたら変革を主導するリーダーには絶対になれない、ということです。
あなたがもし、自分が正しいと思うこと、あるいは間違っていると思っていることがあるのであれば、「嫌われるかもしれない」という心のブレーキをかけずに、どうかそれを口に出して言ってほしいと思います。実際に世界は、多くの人がそうすることで、少しずつ進歩してきたのですから。