高等動物の場合、情動はもう一つ重要な役割を担っている。情動を引き起こした出来事からその反応までのあいだに「遅延」を設けることができるのだ。
そのおかげで我々は、ある出来事に対する本能的反応を理性的思考によって巧みに調節したり遅らせたりして、もっと適切な機会を待つことができる。
たとえばあなたの身体が栄養分を欲しているとしよう。目の前にはスナックの袋がある。反射的に反応するならば、何も考えずにそれをむさぼり食うだろう。
しかし進化によってこのプロセスには1つ余計なステップが挿入されていて、身体が栄養分を欲しがっていても、視界に入った食べ物を自動的に口に入れることはしない。代わりに空腹感という情動を感じるのだ。
その情動によって食べることへと促されるが、この状況に対する反応はもはや自動的ではない。状況をじっくり考えて、スナックは我慢しようと決めれば、夕食のダブルベーコンチーズバーガーのためにお腹を空けておける。
あるいは、ネットがつながらなくて通信会社に電話を掛けたら、担当者に冷たくあしらわれたとしよう。
もしもあなたが反射的に行動する動物だったら、相手に食ってかかって「地獄に落ちろ、この間抜け野郎」などと罵声を浴びせるかもしれない。
だが実際には、担当者の振る舞いを受けてあなたは怒りや欲求不満などの情動を抱く。あなたの心がこの状況を処理する方法はこの情動から影響を受けるが、それとともに理性的な自己からの入力も受け入れる。
それでも相手に食ってかかるかもしれないが、それは自動的ではない。代わりにその衝動を無視して、一度深呼吸してから、「規約は分かりますが、この場合それが当てはまらない理由を説明させてください」などと説きつけるかもしれない。
人間以外の動物、とくに霊長類でも、そのような形で情動が作用することがある。動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールが著した『チンパンジーの政治学:猿の権力と性』という本を取り上げよう。
もしもあなたがチンパンジーだったとしたら、何ともショッキングな一冊である。その中でドゥ・ヴァールは以下のような事例を紹介している。
若い雄は受け入れてくれる雌に興奮してもいったん待って、懲らしめに来るかもしれないボスザルに見つからずに交尾する方法を雌とともに探す。
またボスザルは、取り巻きのサルを毛づくろいして回っている最中に年下の雄から喧嘩を吹っかけられても無視し、翌日になって報復攻撃をすることがある。
母ザルは自分の子供が若いサルに奪われると、そっと後をついていって、子供を怪我させずに取り返すチャンスを待つ。
カリフォルニア工科大学教授で米国科学アカデミー会員のデイヴィッド・アンダーソンは、次のように言っている。
「反射的行動では、きわめて特定の刺激から特定の反応が即座に引き起こされる。そのような刺激にしか出くわさず、そのような反応しか必要ないのであれば、これで問題ない。しかし進化のある時点で動物にはもっと高い柔軟性が求められるようになり、それをもたらすために情動の構成要素が進化したのだ」
(翻訳:水谷淳)