言語化、あるいは、図示を行うことは、「自分自身の中にあるものを外部に書き記す」という行為です。この活動を行うことの最大の便益は、ぼんやりと思っていたものが、具体的になり詳細化されていくことです。
この過程において重要なのは、書き記されたものを見ながら、「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤を繰り返していくところです。これは、さしずめ、ジグソーパズルを組み上げるようなものです。似た色のもの同士を集めて、形がうまくはまりそうなものを組み合わせる。形がうまくフィットしなければ、また別のピースを持ってきて試してみる。そういう繰り返しによって、思考が組み上がっていきます。
お気づきの通り、言語化、図示を行う中で、頭の中に思い浮かんでいるあれこれがジグソーパズルのピースとして、紙の上に書き出されていくことが大きなポイントです。テキストであれ図であれ、ひとたびアウトプットとして、自分の外に具現化されたものは、自分自身と切り離した存在として、客観的に捉えていくことができます。
もちろん、精魂込めて作った資料や、練りに練った企画書には、思いが込もっていますから、誰かに否定されると「何でそんなことを言うんだ」と思ってしまうこともあります。アウトプットを自分の分身のように感じてしまうわけです。
しかし、思考を深め、発想を広げていく過程においては、そうした思い入れは逆効果です。積極的に、自分自身と切り離して、客観視していくことを心がけましょう。
コツとしては「他人が作った資料だと思う」ことです。
もともと自分が思っていたことですし、自分が紙に書いたものなのですが、その意識を一度捨てて、「これは、どういう意味だろうか」「これは、正しいだろうか」という観点で眺めてみるのです。
余談になりますが、私が駆け出しコンサルタントの頃、上司や先輩から非常に厳しいレビューを受けていました。完膚なきまでに叩きのめされるという表現が適するくらいの厳しさで、作った資料の原型をとどめないのが当たり前という状況でした。
この状況は非常にツラいもので、精神的にも苦しいものでしたが、その一方で「新しい視点」を与えてくれる貴重な機会でもありました。
コンサルタントという仕事は、誰よりも深く考えることが求められます。そのため私は、この学びの機会を最大限に活用することが、コンサルタントとしての成長の鍵だと捉えました。
そのため、こういう状況において、「手直しされているのは僕ではなく、この紙である」と考えることにしました。そうすることで、否定されているのは私自身ではなく、アウトプットとして私から切り離されたものであると捉えられ、レビュー内容を素直に受け止められるようになるわけです。
ちなみに、同じようなツラい経験をすると、誰しも同じようなことを考えるようなのですが、ある先輩は「上司と一緒になって、自分の紙をレビューする」という風に考えていたそうです。彼は自分のアウトプットに対して「確かに、これ、ぜんぜんイケてないですね。いったい誰が作ったんですかね」と言えるくらいまで客観視していたそうです。