商談相手の心情を読むのが上手な人下手な人の差

という趣旨の回答をする中で、ある子どもが、

「違うよ、ごんは悪い子だからです」

と答えました。

この子どもは母親と二人で暮らしていて、母親が働いている間は一人で過ごすことが多い子どもです。そしていたずらをすることも多い子でした。ごんと似た境遇なので、感情移入をしやすいのです。

この子は一人で遊ぶことには慣れていて、特段さびしいとか、自分がかわいそうな子だとは思っていません。周りに友達がいれば遊ぶし、大人がいれば普通に話すので、ごんも自分もたまたま一人の時間が多いだけです。そしていたずらをすると、「悪い子」と言われるのです。

この授業でのやりとりから、何を考えますか? ごんは悪い子だからいたずらばかりする、というのは、多数決により不正解、あるいは解釈として正しくないのでしょうか? この子どもは読解力が低いのでしょうか? ごんに境遇が似ている子どもの、「悪い子だから」という解釈をどう扱えばよいのでしょうか?

いたずらを重ねるのは悪い子、と言われているこの子どもの境遇自体の評価は置いておくとして、この子どもは、客観的に見ればやはりさびしいのかもしれません。その状況に慣れすぎて、多くの子どもが「さびしい」と思う心の状態をもはや「さびしい」と認識していないだけなのかもしれません。

ちなみに、別の機会には、教師が

「ごんが兵十に栗やきのこを届けたのはなぜ?」

と質問しました。これにはまた多くの子どもが

「悪いことをしたと思ったから」

「兵十がひとりぼっちになってかわいそうだと思ったから」

と答えましたが、先ほど「悪い子だから」と答えた子どもも例外ではありませんでした。「ひとりぼっち」はやはり「かわいそう」だとは認識しているのです。

読解力を考えるうえで、私はこの子どもの解釈を尊重すべきだと思います。

大多数は“よく聞く話” “よく聞く文脈”から、「さびしいから」と考えるけれども、本当にその立場・境遇を知っている者からすると、主観的には少し違うのだ、ということを認める。

どちらが正解、不正解ということではなくて、いろいろなものの考え方や感じ方があることを知る。本当に他者の立場に立とうとするなら、可能な限りその背景や経験を知り、推し量り、共感する必要があることを知る。そして、それを実践していく。

これが読解力の目指すところであると私は考えています。

会議・交渉で役立つ「人を読む力」

人は一人では生きていけない、とよく言います。一人で生きるのは非常に困難なことで、多くの人がどこかで社会やコミュニティーとの接点を持ち、助け助けられながら生きています。

仕事もしかり、多くの場合、人はチームや組織で働きます。一人でできる仕事もありますが、どこかの場面では他者(顧客や協力者)とかかわって仕事を進めることが多いでしょう。

会議や交渉の場面において、内容が非常に重要なのは当然です。内容自体は論理的な事柄であることが多く、会議や交渉に臨む、他者と働くときに必要なことがまだあります。それは、「人を読む」ということです。

人には性格や育ち、そのとき抱えているさまざまな事情というものがあり、それは千差万別です。バックグラウンド(背景)と言われます。ある事柄を論理的にわかりやすく伝えれば、必ずわかってもらえるでしょうか。頭で理解できても、感じ方は相手と自分とで違うかもしれません。

同じことに対しても、これは簡単にできることだ、と経験もあって楽観的な人は思いますが、経験がなく悲観的な別の人は、非常に大変なことだ、とてもできない、と感じるかもしれないのです。

相手の性格やバックグラウンドは、ある程度最初からわかっている場合もあれば、話していくうちにわかってくることもありますが、それによって伝え方や順番を変えていかなければ、納得してもらえないこともありえます。