「人と会うのが苦手なので、リモートワークで嫌な上司や同僚と顔を合わせなくてすむのは嬉しいです。満員電車に揺られることなく、ギリギリまで寝ていて同じ給与がもらえて、まさにコロナ天国でした。ただ、当社でも今年から出社が増えて、今は憂鬱です」(40代男性・会社員)
「外出制限で家族と一緒に過ごす機会が増えたし、自分を見つめ直すゆとりも生まれました。日々の生活の質は、以前よりかなり上がったように思います」(60代男性・自営)
「コロナ前まで、スーパーで買い物し、友人とカフェでしゃべり、ということを当たり前にしていました。コロナになって、その当たり前が難しくなり、逆に、厳しい環境の中でも家族とだんらんし、健康で穏やかに過ごせていることが、とてもありがたく、しみじみ『幸せだなぁ』と感じられるようになりました」(50代女性・専業主婦など複数の女性)
それぞれの意見に説得力がありますが、個人的に最も心に響いたのは、最後の「50代女性・専業主婦」の「当たり前のことをできているのが幸せ」という意見です。これは、学問的には、経済学の祖、アダム・スミスが唱えた幸福論です。
スミスといえば、弱肉強食の自由競争の信奉者だと思いがちですが、そうではありません。当代随一の道徳哲学者だったスミスは、主著『道徳感情論』の第6版に次のような逸話を追記し、幸福論を展開しています(堂目卓生著『アダム・スミス』から引用)。
エピルスの王の寵臣が王に言ったことは、人間生活の普通の境遇にあるすべての人びとにあてはまるだろう。王は、その寵臣に対して、自分が行おうと企てていたすべての征服を順序だてて話した。王が最後の征服計画について話し終えたとき、寵臣は言った。「ところで、そのあと陛下は何をなさいますか」。王は言った。「それから私がしたいと思うのは、私の友人たちとともに楽しみ、一本の酒で楽しく語り合うということだ」。寵臣はたずねた。「陛下が今そうなさることを、何が妨げているのでしょうか」。
スミスによると、慎ましく平穏無事な生活を送っているのが幸福な状態です。そして、今回のヒアリングから、多くの日本人がスミスの幸福論に近い考え方をしているという印象を受けました。
ただし、スミスの幸福論は、世界的には異質です。SDSNが指摘した6つの変数を見てもわかる通り、人間はより大きな収入や名誉、より充実した活動を求め、それが充足されると幸福になる、という幸福論が断然優勢です。つまり、日本人の幸福観は、世界的には異質と言えそうです。
個々人によって相違はあるでしょうが、一般的に日本人がスミスの提示した控えめな幸福観を持っているとすれば、日本人の幸福度ランキングが低いことやコロナという災禍によって逆にランキングが上がったことを、次のように説明できます。
日本人は、平穏無事に生活できていれば幸福なので、普段は改まって「幸福とは何なのか?」と深く考えたり、「もっと幸せになりたい!」と強く願ったりしません。良くも悪くも幸福に無頓着です。今回のヒアリングでも、「幸せについて考えたことはありませんでした」という声が多数ありました。
幸福について確固たる考えを持っていないので、SDSNの調査のように「生活に満足しているか」と尋ねられると、「さあ、どうなんですかねぇ」と曖昧な回答をしてしまいます。これが豊かな先進国で暮らす日本人の幸福度ランキングが低い理由です。
2012~2018年まで、日本は「1人当たりGDP」がほぼ横ばいで、物価やその他の生活環境もほぼ変わりませんでした。その間、諸外国は順調に経済成長し、社会が発展したので、日本は順位をどんどん下げていきました。