「祈り」は私たちにとってとても身近な活動である。初詣や葬儀では神仏の前で手を合わせる。また、合格祈願や健康祈願で絵馬を掛けたり、祈願札や縁起物の熊手を飾ったりする。
にもかかわらず、なぜ祈るのかその理由を尋ねられると明確な答えは返ってこない。「そうするのが習慣だから」とか「願いをかなえたいから」といった感じなのだ。すべてを合理的に説明したがる経済学者としては、到底納得できる答えではない。
なぜなら、成果が得られるかどうか科学的な根拠の見えにくい祈りに時間とカネを費やすならば、確実に成果が期待できる行動にそれを振り向けたほうが得策と思えるからだ。すなわち、合格祈願や健康祈願をするのではなく、勉学やヘルスケアに励むべきだろう。
ところが、これだけ科学が進歩した現代社会に暮らしていながら、私たちが祈りをやめることはない。そうだとしたら、経済的な合理性以外にその原因を求めなければならない。そこで役に立つのが心理学と経済学の融合として近年認知度が高まっている行動経済学の考え方である。
以下では、行動経済学の代表的な理論をいくつか取りあげ、祈りの根拠を探ってみたいと思う。
病気の人が快癒を願って祈るのは理解できるし、商売がうまくいかない会社が儲かりますようにと祈るのはわかるような気がするが、祈禱寺の住職の話では、実際のところそうとは限らないようだ。健康な人も健康祈願をするし、儲かっている会社も商売繁盛の祈禱を依頼するという。
だが、これを欲深さゆえの所業だとみなすのは短絡的である。行動経済学のプロスペクト理論を用いると健康な人や儲かっている会社が祈願をする理由もしっかり説明できる。
従来の経済理論では、利得の変化を引き起こす出来事に直面したときの人間の行動を説明する際、その人の現時点での経済状況に応じて出発点を設定する。したがって、金持ちと貧しい人、あるいは健康な人と病気の人では出発点が変わる。
しかし、プロスペクト理論では、人間がアクションを起こすときの出発点はすべて同一と考える。すなわち、アクションを起こす際の状況を「参照点」とみなし、そこからの変化に対する評価に注目するのである。
プロスペクト理論のもう1つの特徴は、参照点と比べて利得が増えることの評価値よりも、利得が減ることの評価値のほうを大きく感じるという点だ。そして、損失の回避を優先させるあまり、あえてリスクの高い選択を辞さないことも起こりうる。
この考え方に基づけば、祈願のインセンティブが明らかになるだろう。祈願はリスクをヘッジするための保険ではない。むしろ損失そのものを回避したいという欲求の現れである。つまり、健康祈願をする人は、病気になったときに利得を失うことを避けたいのだ。そのため、寺社に行き、その失われる利得の評価値に祈願料を納めるという行動に出るのである。