高校生だった1980年代半ば、2年間夏のあいだ、贈答用食品会社ウィスコンシン・チーズマンという会社で働いた。チーズだけをつくる会社だ。仕事はフォークリフトの運転で、地下の倉庫から、組み立てラインまでチーズの塊を運ぶ。チーズはここでギフト用に箱詰めされ、世界中に発送される。
1年目の夏に、面白い現象が起きているのに気づいた。シーズン当初、組み立てラインはフロアの半分ほどを占める。驚いたことに、各ラインは1時間ごとにいくつもの塊を捌いていく。
夏の4分の1近くが過ぎた頃、多くの作業員が雇われ、フロアの残り半分のラインが埋まる。フォークリフト・ドライバーのわたしの作業量は増えるが、ラインが2倍になったのに、運ぶチーズの量が2倍になることはなかった。
これが工場長を苛立たせた。ある日の夕方、工場長に呼び出されたときのことをはっきり覚えている。
「ミスター・リスト。記録によると、君は新しいラインに元の半分しか運んでいない」
「イエス、サー。そのようです」
「これは受け入れられない。新しいラインにもっとチーズを運んでもらう必要がある」
肩をすくめて、ラインの責任者に目をやると、ぼそぼそと言い訳した。
「フォークリフト・ドライバーが運ぶ量は適切です。ラインの作業効率がそこまで高くありません」
工場長は憤りを隠せなかった。無理もない。何か月も2倍近い作業員に給料を支払って、できたギフトセットは2倍には遠く及ばなかったのだから。
「こんなことのために予算をつけたわけじゃない。やめだ!」
どうして、こんな事態になったのか。ことは単純だ。平均に基づいて予算をつけたのだ。工場長の予算では、最初の作業員と、後から来た作業員の生産性はおなじだと想定していた。雇う人数が増えるほど、限界生産性が低下し始めることを考慮していなかったのだ。
これは、教師を大量に採用すると質が落ちるのとおなじ現象だ。
最も生産性が高い労働者は、最初に採用される傾向があり、「スーパースター」人材のプールが尽きても拡大を続けるつもりなら、生産性が劣る人材を採用するしかない。
ウィスコンシン・チーズマンのケースでは、リターンの逓減がさらに酷くなる。ラインは、一番生産性の低い作業員に合わせてしか動かないからだ。要するに、会社は雇うべき最後の労働者の生産性ではなく、平均的な労働者の生産性をもとに予算を組んでいた。
会社は細々と続いたが、2011年には工場を閉鎖してしまった。ウィスコンシン・チーズマンが「限界思考」を採用していたら、こんなことにはならなかったはずだ。
ここで、「限界思考」について説明しよう。
財やサービスを、「単位」に分解すると、消費したのが最初の1単位か、最後の1単位か、そのあいだかで、消費者にとって価値が変わってくる。最後の1単位の価値は「限界効用」と呼ばれ、全単位を平均した価値とおなじになることは滅多にない。