2022年11月に行われる、カタールワールドカップが僕のサッカー人生のハイライトになることは間違いない。
メンバーに選ばれても、選ばれなくても「サッカー選手・長友佑都」にとって、ひとつの区切りになるだろう。
原稿を書いている今は、高いモチベーションを持ち、カタールの地で躍動する自分を毎日想像している。それがなければ、正直走り続けることは難しかっただろうと思う。
ワールドカップに出るためには、当然のごとく「日本代表」であることが必要だ。
「日本代表」は、いつだって僕の心の支えであり続けていてくれた。
特に、インテルでマンチーニ監督やスパレッティ監督から「試合に出るチャンスはない」と言われたり、ガラタサライで外国人枠を外れたときなど、チームに貢献することが叶わないときは、「日本代表」でプレーする自分を思い描き、苦しい日々を耐え忍んだ。
いま苦しくても、日本代表がある。
そこでは輝き続けたい。
僕にとって日本代表には、それだけのパワーがあった。
僕が、日本代表に熱くなるのも、いつだって僕の希望となってくれてきたことに感謝しているからだ。
たった一度だけ、そのパワーを失ったことがある。
8年前のブラジルワールドカップ終了後の2014―2015シーズンのことだ。
このとき、メンタルの状態を保つことがどれだけ大事であるか、もっと言えば、メンタルこそすべてである、ということを学んだ。
(本田)圭佑らとともに「ワールドカップ優勝」を口にし、本気でそれを狙える位置にいると思っていた。なのに僕らは、優勝はおろか一勝もできず、ワールドカップを去った。
敗退した瞬間に受けた悔しさは形容しがたいものがあったけれど、もっとも苦しかったのはそれ以降、シーズンを通して、どんな手を使ってもモチベーションを上げることができない時間だった。
人生で初めてサッカーをすることが嫌になり、練習にすら行きたくなかった。いつももやもやしている、そんな感覚があった。
びっくりすることに、こうやってメンタル的に気持ちが乗らないと、体にも影響が出てくる。
ワールドカップ終了後のシーズン、前シーズンのプレーが評価されて、インテルの副キャプテンに指名されていたのだけど、僕は次々とケガに襲われてその役目を果たすどころか、プレーをすることもできなかったのだ。
自信を取り戻すためにも重要だったシーズンは、そのスタートから雲行きが怪しかった。
開幕戦はスタメン落ちしたものの、次節にはスターティングラインナップに戻った。だけど、プレーを始めてすぐに左足に違和感を覚える。太ももに張りがある。何とかプレーを続けていたけれど、後半17分に自ら交代を申し出た。
次戦はフル出場、翌戦は控え。迎えた5節のカリアリ戦は大きな転機だった。
キャプテンマークを付けて出場したこの試合、僕は前半27分に退場処分を受けた。25分にイエロー1枚、その2分後にもう一度……。
チームに申し訳ない……。