W杯4大会出場「長友佑都」を支えたメンタル術

この後、日本代表に戻りジャマイカ代表やブラジル代表とテストマッチを行っていた。ブラジル戦は欠場したが、ジャマイカ戦でのパフォーマンスも手ごたえを感じられるものではなかった。

インテルに戻ると、慕っていたマッツァーリ監督が解任された。僕自身もふくらはぎの張りがどうしても引かず、4試合連続でベンチ外となった。

極めつけは、11月の頭に罹ったインフルエンザだった。

コンディション不良、退場、その後にまたケガをし、今度はインフルエンザ……。

すべてはあのブラジルワールドカップの失意から始まっていた。それまでたぎっていた大きな存在への思いを取り戻すことができない。メンタルが上がってこないことで、フィジカルや技術にも影響が出ていた。

何とかしたいと思い、自分自身に何度も言い聞かせていた。

「こんなことでいいのか? お前はそんなものか? もっと強くなれよ……」

メンタルが弱っている。強くあらねば。自分に打ち勝て――。

思えば思うほど、体中が力んでいく。

そのときは気づけなかった。僕の心は「カッチカチ」に固まっていたのだ。弱ったメンタルを取り戻そう、強くしなければいけないと思い続け、無理やり固めていたのだ。

その後も、このシーズンはケガを繰り返した。

11月にヨーロッパリーグを戦い、肩を脱臼した。年が明けた2015年はアジアカップがあってインテルを離れたけれど、ここでもケガをしてチームに迷惑をかけた。

3連覇をかけた準々決勝のUAE戦、延長に入ってから太ももが肉離れになった。選手交代を使い切っていたため、ほとんどプレーできない僕がピッチに立ち続けた。チームもPK戦で負け、再び代表で失意を味わう。

このシーズン、ケガから戻ってこられたのが4月。スタメンに復帰することになったのは5月の終盤、シーズンラスト2試合。インテルの監督はマンチーニになっていた。

弱い自分を受け入れ、しなやかなメンタルに

シーズン終盤には、少しずつ自分のメンタルを取り戻せていた。

何が解決してくれたか、と言えば一番は「時間」だ。

その間に経験したことは、今の僕の糧になっている。

ケガから復帰できる、というタイミングでインフルエンザに罹ったとき。治りかけの段階でスタメン復帰が決まった。

「どうにかしないと。もっと強くなれよ……」

何より、まだ微熱があり、何より体がものすごく重かった。

このままでいいパフォーマンスができるわけがない。冷静に考えようと努めた。そこで、ふとした瞬間に気づいた。

「弱い自分でもいいじゃないか。というより、自分は弱いんだから、そんな弱い自分と戦ってどうするんだ?」

「サッカー選手・長友佑都というあるべき自分を作りすぎていないか? もっと人間としての、生身の自分と向き合おう」

「生身の自分は決して強くない。じゃあ、サッカーは? サッカーは楽しいものだ。今みたいに面白くないのは、人間・長友佑都の感想か? それともサッカー選手・長友佑都か?」

自問自答した。 

自分と戦う必要はない

その答えは、僕自身はサッカーが好きで、もっと楽しめるはずなのに「サッカー選手・長友佑都」として自分を捉えすぎているということだった。

自分と戦う必要はない、もっとサッカーを楽しめばいい。

何かが吹っ切れたようだった。

2014年11月9日のヴェローナ戦。びっくりしたのは、体がものすごく動いたことだった。

出場停止、ケガ、インフルエンザ。5試合、ほぼ1カ月半試合に出られていなかったのに、僕の体はキレにキレていた。

試合は2対2で引き分けたけど、僕は90分間走り、戦い続けることができた。

体のコンディションは最悪だったけれど、向き合い続けた自分自身の失意への光が見えたことで、メンタル的に吹っ切れていた。

そのメンタルが、僕自身を躍動させてくれたのだと思う。

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メンタルは肉体を支配している――。

肉体だけではない、技術も含めてまずメンタルさえ安定していれば、いいパフォーマンスができる。それに気づかされた。

「強くあれ、自分に負けるな」

大事な問いかけだけど、あまりにそれを思い続けると心が固まってしまう。固くなったものは、強い衝撃ですぐに割れてしまう。

理想はしなやかで柔らかいメンタル。

それを手に入れなければいけない――。

ヴェローナ戦はインテル時代の僕にとって忘れることのできない、貴重な示唆を与えてくれる一試合だった。