これは、とある貴族の男性がやって来て、女房たちに仕事を頼んだ日の日記。その時の対応があんまりだった……と紫式部は嘆いているのだ。
先日、中宮の大夫がいらして女房に中宮様への伝言を頼む、という機会があったのだけど、身分の高い女房たちは、恥ずかしがって来客者に顔も合わせず、そのうえ誰もはっきりしゃべらない。ちょっと声を出したとしても小さい声だけ。みんな言葉を間違えるのを怖がって恥ずかしがっているのでしょうけれど……それにしたって、対応する女房が一言もしゃべらないし姿も見せないなんてこと、ある!?
ほかのところの女房たちはそんな仕事の仕方、してないはず。もともとの身分がどんなに高い方でも、いちど女房として仕事を始めたからには、郷に入っては郷に従えなのに! こちらの皆様はお姫様気分のままみたい。
職場の同僚に「ただ姫君ながらのもてなしにぞ、みなものしたまふ」(みんなお姫様気分でいるみたい)と書くなんて! なんて切れ味の鋭い批判なんだ!!と苦笑してしまう。キレキレの悪口である。
しかも「もともとが身分の高かった人に限って、女房仕事をするとなるとお姫様気分でうまくいかない」なんて、職場の人物描写として意地は悪いが、気持ちはわかる。このあたりの人物描写の鋭さは、『源氏物語』の女性たちの描写の切れ味につながっていくのだろう。
今も「職場の先輩が全然仕事してくれない」「今年の新卒は学生気分が抜けていない」などの批判はあるあるだろう。が、平安時代の紫式部は、今の私たちにも勝るとも劣らない職場の悪口を日記に書き連ねていたのである。
『源氏物語』は、実はこんなふうに「仕事が嫌だ」「仕事の人間関係も嫌だ」と思っていた紫式部にとって、物語という名の大事な逃避の場だったらしい。現代の私たちが趣味を仕事の逃避にするようなものだろうか。次回は紫式部が物語についてどんなふうに考えていたのか、『紫式部日記』を読み解いてみたい。