「とりあえず有名企業」で職場を選ぶ重大なリスク

たしかに、“新卒一括採用”“年功序列”“終身雇用”が保証されていた時代にあっては、その考え方に一定の有効性があったかもしれません(ただし、あくまでひとつの生き方に過ぎません)。

ここで最初の質問に立ち戻ってください。

もし、あなたが料理や接客の道を究め、プロフェッショナルとしてお客さんを喜ばせたい、ゆくゆくは独立して自分の店を持ちたい――そうした目標を持っていた場合、「A」だけが正解とは必ずしも言えないはずです。むしろ、「B」の方が、自分の目標や理想とする働き方、キャリアに繋がる職場環境かもしれません。

修業して料理の腕を磨きたい、ソムリエの道を究めたい、ミシュランで星を取るような店をつくりたい。そうした夢を持つ人が、「とりあえず新卒は有名企業に」との思い込みによって、大手チェーンに入社する。果たして、この選択が正解と言えるのでしょうか。

質問で設定した飲食業界はわかりやすい例ですが、どんな業界・業種であれ、私たちは大企業信仰とも言うべき思い込みの罠に陥り、自分の望むキャリアや働き方とは異なる職場、環境に身を置いてしまうことが往々にしてあります。

ボタンの掛け違いで消えてしまう「心の火」

本来ならば自分の目標、仕事観、キャリア観の方が優先度は高いはずなのに、「とりあえず有名企業へ」との思い込みで職場を選んでしまっている。

そして、途中でボタンの掛け違いに気づいたとしても、「せっかく入社できたのだから」と、なかなか身動きが取れない。その結果、「こんなはずじゃなかった」「自分は何をしたかったんだろう」と、次第に情熱を失ってしまう。「心の火」が消えてしまう。

無理もない話です。最初から「自分の仕事観やキャリア観に合った職場を選ぶ」という前提が損なわれてしまっているのですから。

私は有名企業、大企業の環境が悪いと言うつもりは毛頭ありません。

私自身、大企業で育った人間の一人ですし、大企業の方が職場環境も優れていて、働く選択肢も整っていることが多い。しかし、そもそも自分のやりたい仕事、働きたい環境とマッチしていない可能性があり、その場合は無理に大企業にこだわる必要もないことを、心に留めておいてほしいのです。

最初からボタンの掛け違いがあった職場で、自分の思うような仕事やキャリアを描けなくとも、それを自分の責任、無力感として落ち込む必要は決してありません。

掛け違いがあったのならば、自分を追い込むよりも「自分は仕事人として何がしたかったのか?」、そもそもの前提に立ち戻ることが先決です。そして、自分に合った環境に身を置き直せばいい。転職だけではなく、人間関係を再構築したり、部署を掛け持ちしたり、仕事のやり方を変えてみたりと、今いる職場で環境を変える方法はたくさんあります。

自分の行動や判断の基準を他者にあずけるのは危険

「そんな仕事、キャリアに繫がらないよ」「今よりもっと大変だよ」

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あなたが環境を変えようと挑戦した時、こんなお節介なアドバイスを送ってくる人が周囲にいるかもしれません。しかし、その人々とあなたの仕事観・キャリア観は別のもの。評価は他者が下すとしても、自分の行動や判断の基準を他者にあずけるのは危険です。それが正解とは限らない上に、後悔しても誰も責任を取ってはくれません。

自分に合わない組織、部署、人間関係に押し潰され、心の火を消してはいけません。その我慢が報われる保証は何ひとつなく、むしろ、自分らしいキャリアや生産性の向上、ひいては「Well―being=よく生きる」ことから、自分を遠ざけていってしまいます。

昭和の時代に端を発する働き方や人事制度が制度疲弊を起こし始めた今、重要なのは、いかに自分にマッチした環境を選択し、仕事人として成長するか、です。