泉・明石市長「政界引退」にネット民が落胆する訳

なぜ、泉氏のツイッターが「バズる」のか。考えられる特徴が、情報量の多さだ。

たとえば10月1日を例に取ると、肝いりの子育て政策をはじめ、税収、スポーツ、プラネタリウム、能など、市政を中心として多岐にわたるツイートを18回投稿。ツイッターの文字制限は、1投稿につき140字だが、多くの投稿は上限ギリギリまで、フル活用されている。

泉氏の暴言やパワハラは、怒りを制御する「アンガーマネジメント」ができなかったことが根幹にあると伝えられているが、ツイッターに限っては、うまくコントロールできていた印象を受ける。

ネットコミュニティでは、売り言葉に買い言葉を際限なく繰り返す「レスバトル」が、しばしば見られる。しかし、これだけの投稿頻度ながら、泉氏のツイッター上では、さほど大きな事案が見られなかった。なぜだろうか。

ひとつ考えられるのは、字数ギリギリでの投稿が功を奏した可能性だ。筆者もよく、衝動的にツイートしたくなるが、140字ギリギリで完結させようとすると、細部の表現を工夫する必要があるため、その間に考えが整理されて、気持ちも落ち着く傾向がある。

ツイッターを始めた理由に「説明責任を果たす」ことを挙げていたのも大きいだろう。市議に対する暴言が行われた8日以降、引退表明した12日に、謝罪とともに「ツイート控えていましたが、説明責任を負っている立場ゆえ、再開します」と投稿するまで、泉氏のツイッターは沈黙し続けた。

「説明責任」が問われやすい政治家のSNS

公式サイトによると、泉氏は大学卒業後にNHKへ入局し、ディレクターとして活躍。「NHK 630ふくしま」と書かれた背景の前に座る、若かりし日の写真も掲載されている。NHKを辞した後は「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日)なども担当したという。メディアで報道に携わった経験からも、説明責任を果たすために「不確定情報は発言しない」といった、基本的な原則が身に付いていたのではないか。

くしくも昨今、確証のない情報に基づくSNS投稿が話題になっている。自民党の小林貴虎・三重県議会議員が10月2日、安倍晋三元首相の国葬をめぐり「反対のSNS発信の8割が隣の大陸からだったという分析が出ているという」とツイート。小林氏は、高市早苗・経済安保担当相の講演を根拠としたが、高市氏は7日の会見で「発言はなかったです」「そもそも大陸という言葉を私、使いません」(内閣府サイトより)などと回答した。

小林氏をめぐっては17日、県議会の議会運営委員会に辞職勧告決議案が提出され、19日に採決される見通しだ。発言そのものの有無は横に置くとしても、データの出典元は明らかになっていないままである。

泉市長がツイッターで愛され、それゆえ引退が落胆される訳

そもそもの話であるが、泉氏にとってフォロワーを含むネットユーザーは、「怒り」の対象に成りえなかったのではないか。

理想の政策を実現するうえで妨げとなる、一部の市職員・市議への憤りこそあれど、その矛先は市井の人々に向かなかった。国やメディアに対し、苦言を呈することはあっても、ネットユーザーに対してはむしろ友好的に接してきた印象だ。

2000年代前半の小泉政権時代、「抵抗勢力」が流行語になった。改革に対して障害となる守旧派を、リーダーと国民の共通敵として位置づける。そうした前例と重ねてみると、泉氏とフォロワーの関係性も、構図が似ているように思える。

泉氏のツイッターで印象的なのは「引用リツイート」の多さだ。一般ユーザーから寄せられたリプライ(返信)や、明石市に関する投稿を、私見を添えつつ紹介することで、自身が取り組む市政が対外的に評価されているとアピールできる。

また、ユーザーにとっても、遠くの存在だと思っていた「政治家」から直接反応をもらえるとなれば、より積極的にコミュニケーションを取ろうとするだろう。やりとりが活発化すればするほど、フォロワー増にもつながる。政策と信条を共有するフォロワーは、抵抗勢力と立ち向かうための味方になりうる。

泉氏は10月16日、諸般の事情を鑑みて、ツイッターを休止すると投稿したが、再開を求める声は絶えない。明石市の人口は、30万5294人(1日現在)。すでにフォロワー数は、市民のそれを超えている。

市長退任後について、泉氏は「市長を卒業し、新たな展開を図りたい」「明石市民のみならず、全国民のために自らの役割を果たしていきたい」などとツイートしてきた。

政界のインフルエンサーは、これから全国的にどんな発信をしていくのだろう。

もし実社会での暴言が続くとすれば、ツイッターでの姿は「ネコをかぶっている」と判断される。そうなれば、次第にフォロワーも離れていき、擁護の声は減っていくだろう。ネットとリアルは表裏一体なのだ。