「信じられない」「自分のおばあちゃんみたいな存在だった」「女王がいない世界を想像できない」。エリザベス女王の死が伝えられた8日夕方、ロンドン西部にある女王の公邸ウィンザー城前には訃報を聞いた近くの住民らが次々と集まった。女王が亡くなったのは、スコットランドにある私邸バルモラル城だが、生活の拠点となっていたウィンザー城に来て、女王をしのぶ人は少なくなかった。
2日前まで公務をこなしていた女王の死から4日、人々の悲しみは癒えることがないが、ロンドンでは着々と「国葬」の準備が進みつつある。はたして70年間イギリス国民のために自身の人生を捧げた女王の国葬はどのようなものになるのか。
BBCが訃報を伝えると、主要テレビ番組は通常の番組予定を変更し、数時間にわたり、女王の死去やバルモラル城、ウィンザー城、バッキンガム宮殿前に集まってきた人々の様子、専門家の見方などを伝えた。筆者がニュースサイトをスマートフォンでチェックすると、タイムズ紙を含め、複数のサイトでは背景を黒にして死去のニュースを報道していた。
トラス新政権が発足したばかりだが、女王の死を機に、9日から予定されていた郵便サービスのスト、中旬に予定されていた鉄道ストは中止。同じく9日開催予定だったサッカーの試合、自転車レースも中止に。8日夜から3日間の予定で開催されるはずだったクラシック音楽のイベント「BBCプロム」も中止となった。
イギリスでは君主交代が発生するのは、先の君主が亡くなってからが伝統だ。そこで、エリザベス女王が亡くなった直後から、チャールズ皇太子が「君主チャールズ3世」となった。新国王とその妻カミラは、9日、滞在中のバルモラル城からロンドンに戻り、トラス首相と面会。先に録画されていた、国王による「国民へのメッセージ」が午後6時、テレビで全国放映された。
チャールズ国王は女王の死による「悲しみと喪失感」を国民と共有すると述べ、国民のために「生涯、奉仕する」と誓った。女王が21歳の時に「自分の生涯のすべてを国民とイギリスのために捧げる」と宣言したことをほうふつとさせた。
ロンドンのウェストミンスター寺院、セント・ポール大聖堂、ウィンザー城では追悼の鐘が鳴らされ、ハイドパークでは96発の礼砲が撃たれた。96発とは女王の享年が96歳であったことを意味する。また、セント・ポール大聖堂ではトラス首相や政府閣僚らが出席するミサが行われ、これもテレビで生放送された。
10日には、国王に助言を行う枢密院、上院議員、政治家などで構成される「即位委員会」が王室の正式な居城となるセント・ジェームズ宮殿で会議を行い、新君主がチャールズ3世であることを正式に宣言。セント・ジェームズ宮殿や、ウインザー城など複数の場所で追悼帳が準備される。
11日、女王の棺がバルモラル城からスコットランドの首都エディンバラまで車で運ばれた。12日、エディンバラのセント・ジャイルズ大聖堂で王室関係者が出席する通夜の儀式が行われる。一方、チャールズ国王は自治政府があるウェールズ、北アイルランドを訪問予定だ。