昔から、運を信じる人は「物事をコントロールする力は自分の外にある」と考えてきた。つまり「自分ではコントロールできない予期せぬこと」が起こり、それが安定していない場合、その説明として運を利用してきたのである。
この説から言えば、運を信じていない人のほうが合理的で、確率を計算にいれ、予期せぬ出来事の原因として自分の能力も考慮していることになる。
一般的に心理学の世界では昔から、運を信じない人のほうが信じる人よりも心理学的には健全だと思われてきた。
新たな研究によれば、運を信じる人は運を個人の特徴、つまり個性のひとつと見なしているそうだ。
「自分は幸運だ」と思っている人は、予測できない、偶然起こった問題に直面し、その問
題を克服しなければならない場合でも「自分は幸運なのだから」と信じることで、希望と自信をもっているらしい。
たとえ運は偶然に左右され、自分のコントロールが及ばないものだと認識していても、「自分は運がいい」と考える人は偶然起こる出来事にも耐えやすくなり、予測できない出来事にどう手を打つべきかという答えを割りだしやすい。
この説から見れば「自分は幸運だ」と思っている人は「自分は運が悪い」と思っている人よりも精神状態が健全で、ストレスに対処する能力が高いことになる。
運に関して性格がはたす役割は、なかなか説明するのがむずかしい。
最初のハードルは、性格とはなにかを定義する必要があることで、これひとつとっても一筋縄ではいかない。
性格とは、私たちを独自の人間たらしめている思考、感情的反応、行動パターンであると、心理学者たちは定義している。
外の世界と交流するこうした特徴ある方法は、私たちの内面で生じている。体験を通じて変わっていくことは可能だし、変わることも多いが、それは私たちの一部なのだ。
足し算を覚えたり、動詞を活用させたり、歴史の日付を覚えたりするのとはわけが違う。
そして性格はまた生涯を通じて、ほぼ一貫して変わらない─脳で極端な変化が生じないかぎり、突然変わることはないのだ。
脳波のシータ波/ベータ波の比率からは、性格のほかの側面も見てとれる。注意力をどのように発揮するのか、つまり広大な世界で起こる物事のどこに注意を向けるのかという方法の違いだ。
私たちのなかには、ほかの人より注意制御が得意な人がいる。注意制御の度合いは安定していて、長期的に見れば性格の一部でもある。研究者たちはシータ波/ベータ波の比率が、注意制御の力と負の相関にあることに気づいた。注意制御ができる人はシータ波/ベータ波の比率が低く、その逆もまた同様だった。
こうした性格の特徴は、脳の機能における注意制御のシステムと関係している。