調べる習慣が「ある人」「ない人」につく決定的な差

確かに、家族や友人と食事に行くときに熱心にグルメサイトなどを調べる人はいます。

ですから、調べる手段や基本的なスキルは持っているのに、なぜか仕事や勉強のことになると、スマホを一度検索すればわかるようなことでも案外調べないのです。

普通の生活をしている限り、調べる習慣を持たなくても支障がないように思えるかもしれません。しかし、すぐ調べる人は信頼できる情報を手に入れ、問題を解決する力が身に付きます。時間が経てば経つほど、「調べる人」と「調べない人」の間に決定的な差が付きます。

今や調べる習慣を持つ人だけが生き残る時代ともいえます。まずは、それを肝に銘じておきましょう。

正しい情報を調べられる人は信用できる人

職場の会議などで自分の意見を発言するとき、人を説得するときに、裏付けとなる情報を調べて提示できる人は信用できる人といえます。

「自分の意見なのだから、いちいち調べなくても、何を言ってもいいのでは?」と思われるかもしれません。しかし、人を説得して動かそうという場合、自分の意見だけでは材料として不十分です。

思い込みから発する意見は間違っている可能性もあり、説得力に欠けるからです。好ましくないのは、確証のない情報を、いかにも正確な情報であるかのように堂々と口にすることです。

間違った情報を信じた人が行動した結果、相手に迷惑をかける恐れもあります。職場の場合、間違った意思決定を行ってしまうかもしれません。

信用を得たかったら、きちんと正しい情報を調べて提示すべきです。

なぜ私がここまで調べて発言することの重要性を説くのかというと、人間の記憶に基づく発言はあやふやであることを身にしみて理解しているからです。

私は新聞社や雑誌社の取材を受ける機会が多いのですが、私が記者の目の前で直接話した内容が、文章にまとめられると、まったく違う趣旨になるということが結構な頻度で起こります。

考えてみれば、それは大学の授業でたびたび経験していることでもあります。私が授業で話したあと、学生に「今聞いた内容を話してみてください」というと、かなり違う内容になるパターンが多いのです。

要するに、人の要約再生能力は、まったく当てになりません。単純に能力に限界があるだけでなく、自分に都合よく情報をねじ曲げてしまうこともあります。

自分で調べたうえで正しい情報を発言することを習慣付ければ、信用が積み重なります。

信用されれば、重要な仕事も任せられるようになるでしょう。つまり、調べて得をすることはあっても損をすることはないのです。

調べないとリスクを抱えることになる

きちんと調べずに情報を発信することには大きなリスクがあります。特に、SNSによる発信のように、情報を目にする人の数が大きくなればなるほどリスクも増大します。

インターネット上では、気軽に情報発信できる反面、誹謗中傷による被害も多発しています。これまでネット上の誹謗中傷については、実質、野放しに近い状態が続いてきました。かつては被害者が名誉毀損で訴えようとしても、手続きに費用と労力が掛かりすぎるため、泣き寝入りするしかなかったのです。

しかし、ようやくこの状況を改善するための動きが見られるようになりました。手続きの簡略化につながる「プロバイダ責任制限法」の改正が行われるなど、誹謗中傷を書き込んだ人に損害賠償や厳罰を求める動きが加速しています。

そういった状況では、何を根拠に情報を発信しているのかが重要になります。

「誰かが○○と言っていたような気がする」

情報を発したあとで、こんな言い訳をしても通用しません。曖昧な根拠で情報を発信した人はもちろん、よく調べずに鵜呑みにし、さらにそれをまた発信した人も責任が問われるのです。