なぜか「すべてうまくいく人」が験を担ぐ理由

私たちは「運のよさ」を学習することができるようです(写真:buritora/PIXTA)
世の中には「何をやってもなぜかうまくいく人」がいる一方、「何をやってもうまくいかない人」がいる。では、「うまくいく人」には、なぜ幸運が舞い込むのだろうか? 運がいい人と悪い人には、なにか私たちの知らない習慣や行動、考え方の違いがあるのだろうか?
「運」の起源やメカニズムを科学的に検証し、どうすれば「運」を呼び込むことができるのかを解説した、心理学者・神経科学者のバーバラ・ブラッチュリー氏の著書、『運を味方にする 「偶然」の科学』より、一部抜粋・編集のうえ、お届けする。

「ランダムネス」にどう対処するか?

これまでの人生で、ランダムネスに遭遇したときのことを思いだしてもらいたい。

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絶好の機会を逃したにせよ、しっかりとつかまえたにせよ、あなたは最善を尽くしたはずだ。私たちは誰もが最善を尽くしていて、それを終えたあとになってようやく、自分のしたことが「正しかった」のかどうかに気づく。

ランダムネスへの対処法は人によって異なる。私たちは誰もが同じ経験を共有しているわけではないし、同じ生い立ちをもっているわけでもない。だから当然、期待、恐怖、世界に求めているもの、必死で避けようとしているものも異なる。

だが、地球上の人間全員が共有しているもの、それは周囲のランダムで一貫性のない世界にパターンや一貫性を見つけようとする構造になっている脳だ。

いくら世界に目をこらしたところで、結局、私たちには世界の本質が見えないのだろう。自分が見ると予想したもの、見たいもの、ときには見たくないと思っているものを見る。それが人間の特性の1つなのだ。

懸命にパターンをさがし、日常生活を形成する事象にパターンを見いだすと、安心する。それは医療におけるプラシーボ効果のようなものだ。

「このちっぽけな緑色の錠剤で気分がよくなる」と信じて、それを服用すれば、実際に気分がよくなる。この場合、錠剤の成分が本当に重要なのだろうか? 私にとっては重要ではない。

もし、この靴を履けば毎日、物事がスムーズに運ぶと信じているのなら、この靴を履けばすばらしい1日を送れるだろう。ラッキーシューズを信じるのは不合理であるという事実は、それほど重要なことなのだろうか? 個人的には、そうは思えない。

運を信じればパフォーマンスが向上する

運を信じること自体に、いっさい悪いところはない。それどころか、運に頼れば、困難な状況に直面してもやる気を高められるので有益になりうる。

運を信じれば、自分には状況をコントロールする力があると思えるかもしれない。そうすればパフォーマンスが向上し、成功しやすくなり、いい結果がでやすくなる。すると、次回、困った状況に追い込まれたときに、いっそう運を信じるようになる。

?成功ほど続いて起こるものはない?ということわざのとおり、私たちは過去に成功したことに関しては、また成功する傾向があるのだ──たとえ、過去にうまくいったこと自体が不合理であったとしても。

自分に対する期待、とりわけ自分が目標を達成する確率に対する期待は、決断をくだす方法に影響を及ぼす。私たちはたいてい、つらい体験を通じて、自分の期待について学んでいく。しかし、つらい体験こそが、本当の意味でなにかを学ぶ唯一の方法なのだ。

私たちは問題を解決しようとする。そして、その解決策がいい結果をもたらすのか、悪い結果をもたらすのかを確認しようと、成り行きを見守る。その結果が満足のいくものとなったことがわかるまで、結果の良しあしはわからない。