だからこそ、運に頼ると高くつく。幸運の女神がほほ笑むのは、たいてい結果がわかったあとだからだ。
一連の行動をとり、その解決策に時間と労力を費やしたあとになって、ようやく幸運の女神の出番となるのだ。
とはいえ、いい知らせもある。私たちは自分の期待や注意を修正することができる。よりよく注意を払い、無関係な情報を無視し、不適切な反応を抑え、よりよい情報を意思決定システムに提供する方法を学ぶことができるのだ。
「運がいい」とは、遭遇するランダムネスの大きい波に乗る意欲をもつことだ。「運がいい」とは、適切なタイミングで適切な場所にいることを意味するが、それにはまた自分のスキルや才能に磨きをかけ、自分の能力を最大化する努力も必要となる。
ただ偶然に頼り、物事の本質を見きわめることなどできない。目標達成に意識を向け、偶然の出来事が起こったら受けいれて、そこから行動を起こす心の準備をしておかなければならない。つまり偶然を利用する意識をもつのだ。
よって運だけに頼り、サイコロの目や配られたカードといった偶然に頼ることを優先し、スキル、能力、訓練、努力、労働といったものを放棄しようものなら、問題が生じる。
幸運の女神のほほ笑みは、貴重で高価なものになりうる。だからこそ、ランダムネスを利用したければ、まずは外の世界にでていこう。そしてランダムな砲撃の真ん中に身を置こう。
たしかに、リスクはある。とはいえ、運がよくても悪くても、その物事が終わってからでないと、結果はわからない。幸運だったのか不運だったのかが決まるのは、行動を起こしたあとなのだ。
万事うまくいって、あなたが望みのものを手に入れたのであれば、万歳! 幸運だった! でも、うまくいかなかったのであれば、ミスから学び、また挑戦すればいい。
経験は私たちの精神の機能(考え方)と神経の機能(脳が経験に反応する方法)の両方を変える。どちらか一方だけを変えることはできない。世界でなんらかの出来事に遭遇するたびに、あなたは変化に対応しなければならない。
そして一時的にであろうと永遠にであろうと、あなたは考え方とニューロンのはたらき方の両方を変えていく。さまざまな経験を通じて、記憶は脳のなかで絶えず変化を遂げているのだ。
運とは、世界に存在するランダムネスの見方の1つだ。『オズの魔法使い』のドロシーのように、私たちには昔から運を味方にする力がそなわっている。
ランダムネスに心をひらき、それを受けいれ、不安に思ったり怖れたりせず、ミスから学び、勝ち目のない試合運びを変えられるようになれば、私たちはランダムネスから利益を得られるようになる。
たとえ大きなスケールで宇宙を支配することはできなくても、人生のささやかな一面をコントロールできるようになるのだ。
なにをしたところで、ランダムネスは生じる──私たちの宇宙はカオス理論が支配しているのだから。どんな困難に直面しても、柔軟に対処するすべを身につけよう。そうすれば、運に恵まれるようになる。
(翻訳:栗木さつき)