與那覇:千葉さんは『欲望会議』(二村ヒトシ氏・柴田英里氏との共著、角川ソフィア文庫)で、いまや「炎上がセックスに代わりつつある」という大胆な洞察を述べていますね。同一の価値観の持ち主が、ネット上で特定の相手を叩いて一体になる際の快感が、もはや現実の身体同士で接触する性的な快楽を代替しはじめていると。
言い換えると、触覚に対して、視覚が人間の生に占める割合が突出してきていませんか。実際にコロナ禍でも、一時は「オンラインでも飲み会はできるから、集まっての会食はもういらない」といった議論が続出しました。
千葉:全般的に身体性への忌避感が広まっているのはたしかです。他者の身体に自分が侵食されることへの怖れですね。村田沙耶香さんの小説はそんな現代性を捉えていて、他人がものを食べている姿が気持ち悪いといった感覚をグロテスクに描いています。
與那覇:現実の他者の前では、視覚だけでなく触覚的にもその存在を感じとって、時に鬱陶しくなるわけですが、しかし相手がバーチャルでボタンを押せば即画面から「消せる」ようになるのも、また別の問題を生じますよね。
千葉:ネットを使えば他人に対してすべて自分の意図通りに、容易かつ過激に介入できてしまう。やはり相手の身体がないと、歯止めがきかないんですよ。同じ場所にリアルの人間がいたら、そう酷いことは言えないわけじゃないですか。
それは人間の身体的プレゼンス(存在感)がもつある種の権威性のなせる業で、だからネット空間の炎上の流れを食い止めるのは原理的に難しい。
與那覇:結局は、直に会うしかないわけですね。
千葉:逆にいえば僕は、トラブルは膝を突き合わせて話せば大部分は解決される、そこは楽観していいと思っています。生身の身体がもつ迫力で、互いに折れざるを得なくなるから。ある種の保守的な発想にはなるけど、そのように身体を尊重し合うことが社会を維持するためには欠かせないと思います。
オンライン上だけでは、これまで人類が行ってきた議論や折衝は成り立ちません。身体を媒介せずに、言語とイメージだけですべてを処理できるとする考え方は傲慢なんです。物事を可視化するだけでは人間社会は運営できなくて、「不透明なもの」としての身体がどこかで必要になる。
與那覇:コロナ禍を経た2021年のG7サミットだって、前年にはオンラインで開いたにもかかわらず、超多忙な各国首脳が実際に会っていました(笑)。
千葉:そう。儀礼や社交の身体性はとても大事で、会議にしても、オンライン化して効率化できるものもありますが、オンライン化一辺倒ではダメで、大事な話は対面でやるべきですよ。
與那覇:不透明な身体を忌避して「可視化」できる言語ばかりを重視すると起きがちなのが、いわゆる言葉狩りです。大手メディアなどではもう用いない古い語彙を悪意なく使った時点で、「コイツは意識が低い」と決めつけて排除し、そう発話したときに本人がどういう文脈や内面を伴っていたのかには配慮しない。しかしそれは逆に、悪辣なのに言葉のチョイスだけは巧みな人が、「意識が高い」とみなされて模範視される事態も生んでいます。