引っかかった情報は、時間がたつにつれてポロポロと落ちていくこともあるでしょうが、中にはその後に流れてきた情報と合わさって少しずつ育っていくものもあります。これが、その人の「考えるベース」となっていくのです。
それに対して、もともと関心事や問題意識が薄い人は、こうした網を広げていく頭の使い方をあまりしていないことが多く、結果として本当は有効な情報も頭の中に残りません。
例えば、ある映画批評サイトで、200のレビューが掲載されていたとしましょう。考えている人と考えていない人とでは、とくにこうした雑多な情報が大量にあるときに、その使い方に差が出てきます。
考えている人は、そこに書かれているレビューの内容から、見に行くかどうかの判断まで下すことができるでしょう。それは、自分自身の視点でレビューを読んでいるからです。
映像がきれいかどうか、監督の意図はどう表現されているのか、主演俳優の演技はどうかなど、自分の関心や問題意識、好奇心という視点でピックアップしていけば、雑多に見える200ものレビューから重要な情報が浮かび上がってきます。そうした情報処理の視点があれば、大量の情報でも自分なりの引っかけ方ができるわけです。
ところが、関心や好奇心があまりない人は、そうした視点から、レビュー内の情報がピックアップできません。となると、自分の中には選択の基準がありませんから、他人の選択基準を借りるしかないのです。その結果、評価の星の数だけで良し悪しを判断したり、ランキングの順位を基準にして行動をするしかなくなるのです。
もちろん、他人のランキングを参考にすることも大事な情報活用の一つです。でも、せっかく書いてあるレビューをさまざまな角度から活用する人とは情報の活用の仕方に大きな違いが出ているのは、明らかでしょう。
そうした人は、これまでの仕事や人生において、あまり好奇心や問題意識をベースに発想を広げる必要がなかったのかもしれません。そのため頭の中に網を張ることをしてこなかったのでしょう。決められた仕事をまじめにしていれば何も問題なかったのだろうと思います。でも、もし、そうであるならば、今の自分に警鐘を鳴らしたほうがいいかもしれません。あまり頭を使わずにルーチンワークでこなせる仕事が、今後AIに置き換わる可能性が一番高いからです。
『ハーバード・ビジネス・レビュー』の前編集長の岩佐文夫さんが以前フェイスブックの中で、非常に興味深いことを書いていました。
それは、どう考えるかではなくて、それ以前の情報のインプットの質が良いかどうかが大事ではないかという趣旨の内容で、私はこの意見は正しいと思っています。いくら考えたとしても、もともとのインプットの質が悪ければ、良いアウトプットは出ないと思うからです。
では、どうしたら質の良いインプットができるのでしょうか。
それには、頭の中に良い網を張ることだと思うのです。良い網を張っていると、良い情報が引っかかるのです。かなりの部分、その網の張り方で決まってくるのではないでしょうか。
岩佐さんの書き込みが私の頭に引っかかったのも、ある意味では、私が網を張っていた結果といえます。実は、「頭の中にぼんやりした網を張っていると、関連した情報が頭の網に引っかかる」という発想も、岩佐さんの書き込みがヒントになりました。
私が知りたいと思っていた関心事に対して、岩佐さんの書き込みに直接の答えが書いてあったわけではないのですが、ほとんどの情報が頭の中を素通りしていく中で、私がピンと来るものがあったので引っかかったわけなのです。