1950年代から1980年代にかけて、テレビのゲーム番組が人気を博したが、そのなかでもとりわけ人気が高かった番組の一つに『レッツ・メイク・ア・ディール』というのがある。司会者のモンティ・ホールはこの番組で有名になっただけではなく、番組がきっかけで知られるようになった確率論のジレンマが「モンティ・ホール問題」と命名されたことによって、二重の意味で有名になった。
この番組のゲームは次のようなものだ。参加者の前に3つのドアが用意されていて、1つのうしろにはピカピカの新車が、残り2つのうしろにはヤギが隠されている。参加者はどれか1つのドア(ドア1としよう)を選ぶ。
それからモンティが、場を盛り上げるべく、残り2つのドアの片方(ドア3としよう)を開くと、そこにはヤギがいる。さらに場を盛り上げるべく、モンティは参加者にドア1のままでいいか、それとももう1つのドア(ドア2)に変えるかと訊く。さあ、あなただったらどうする?
ほとんどの人は選択を変えない。車が隠されているのは3つのドアのうちのどれかだが、ドア3は違うとわかったので、今やドア1かドア2の2択で、勝率はどちらも50パーセントだと考える。つまり選択を変えても損はないが、結局のところ変えても変えなくても同じだと考える。そういう場合、人は惰性やプライドから、あるいは変えて当たったときの喜びより変えてだめだったときのショックのほうが大きいだろうと思い、変えないほうを選ぶ。
モンティ・ホール問題が有名になったのは、1990年に『パレード』誌の「マリリンに訊いてみよう(Ask Marilyn)」というコラムで紹介されたからで、この雑誌はアメリカの何百もの新聞の日曜版に折り込まれていたので多くの人の目に留まった。マリリンというのはコラムニストのマリリン・ヴォス・サヴァントのことで、IQのギネス記録をもっているため“世界一賢い女性”として知られていた。
そのヴォス・サヴァントがこのゲームについて問われ、「車がドア2のうしろにある確率は3分の2、ドア1のうしろにある確率は3分の1だから、選択を変えたほうがいい」と答えた。するとこのコラムに1万通もの手紙が寄せられ、そのうち1000通は主に数学や統計学の博士たちからのもので、そのほとんどがマリリンの間違いを指摘していた。
著名な数学者ポール・エルデシュ(1913─1996)でさえ、当初は反論する側だった。彼は実に多くの論文を書き、共著者も多かったので、エルデシュとの関係の近さを示す「エルデシュ数」〔数が小さいほどエルデシュに近い。エルデシュと直接の共著論文がある人は1、1の人と共著論文があれば2、2の人と共著論文があれば3……と関係が遠ざかるほど数が増えていく〕というのが学者たちの自慢の種になっているほどなのだが、そのエルデシュもマリリンの説に納得がいかなかった。
しかしながら、間違っていたのは反論した学者たちのほうで、“世界一賢い女性”は正しかった。あなたが参加者なら、選択を変えたほうがいい。
その理由もそれほどややこしくはない。車がどこに置かれているかには、ドア1、ドア2、ドア3の3通りの可能性がある。この3通りそれぞれを考えて、選択を変えない場合と変えた場合の“当たり”の回数を数えてみよう。あなたはドア1を選んだ。これは単なるレッテルなので何番のドアでもいい。モンティが「選ばれていないドアのうちヤギがいるドアを開ける。両方にヤギがいるならその片方をランダムに選ぶ」というルールを守っているかぎり、最初にどのドアを選んでも確率は変わらない。