確証バイアスは人間の愚かさに対してよく下される診断の一つであり、これに対処することは合理性を高めるための一つの目標にもなる。フランシス・ベーコン(1561─1626)は科学的手法を生み出した人といわれているが、そのベーコンがこんな話を書いている。
ある男が教会に連れていかれ、嵐にあいながらも神聖な誓いを立てたおかげで難破を免れた船乗りたちの絵を見せられた。そこで男はこういった。「なんと! でも、誓いを立てたあとで海にのまれた人たちはどこに描かれているんですか?」
ベーコンはさらにこう論じている。「迷信とはそういうものだ。占星術でも、夢でも、前兆でも、神の裁きでも変わらない。迷信のとおりになった出来事については、話すだけでも自慢になるので、人は盛んに取り上げる。だがそうでない出来事については、そちらのほうがもっと頻繁に見られるにもかかわらず、無視して顧みない」
それにしても、初歩的な論理規則さえ適用できないのに、なぜ人間は日々をやり過ごせているのだろうか?
それは、一つには、ウェイソン選択課題が特殊なものだからである。この課題が人々に求めるのは、推論に三段論法を生かすこと(「このコインには王様の図柄があります。ではこのコインの裏には何の図柄があるでしょう?」)ではなく、一般的なルールの検証(「このルールはこの国のコインにも当てはまりますか?」)でもなく、目の前にある数個のコイン(あるいは数枚のカード)の一つ一つにルールが当てはまるかどうかを問うといういささか特殊なものだ。
そしてもう一つ、対象が無作為に選ばれたシンボルやマークだからである。これが「生きるうえでなすべきこと、なすべきでないこと」にかかわるルールであれば、人はもっと論理を働かせようとする。
郵便局が第三種郵便物用に50セントの切手を、速達便用に10ドルの切手を販売しているとする。今回のルールは、「速達のラベルを貼った封筒には、10ドルの切手を貼らなければならない」である。だが封筒やラベルの大きさの関係で、ラベルと切手を封筒の同じ面には貼れないとしよう。ルールどおりの切手が貼られているかを確認するには、郵便局員は封筒を裏返してみなければならない。さて、ここに4枚の封筒がある。郵便局員はあなただ。あなたはどの封筒を裏返すべきだろうか?
今回も正解は〈P〉と〈Qでない〉、すなわち「速達」のラベルが貼られた封筒と、50セントの切手が貼られた封筒である。理屈のうえではコイン4枚の問題と同じなのに、この問題にはほとんどの人が正解する。つまり同じ論理的問題でも内容によって違いが出る。「PならばQ」という命題が、「利益を享受するならば、費用を負担しなければならない」といった特権と義務に関する契約の履行である場合、ルール違反(費用を負担せずに利益だけを得る)は不正行為にも等しい。
そして不正を見つける術ならば、人は直観的に知っていて、「利益を享受している人〈P〉」と「費用を負担していない人〈Qでない〉」を調べようとするわけだ。「利益を享受していない人〈Pでない〉」と「費用を負担している人〈Q〉」のなかにもほかのことでズルをしている人がいるかもしれないが、そちらには目を向けない。
認知心理学者たちは、人が論理的になるのは正確にはどういう場合かという議論をしている。それは単に具体的なシナリオであれば何でもいいというわけではなく、わたしたちが大人へと成長する課程で──またおそらくは遠い祖先が進化の過程で──対処法を身につけてきた、ある種の論理的課題を具現化したものであるはずだ。特権と義務の監視は、そのような“論理が働く課題”のなかに入っている。危険の監視も入っている。