64歳で逝去「人類初サイボーグ」が世界に遺した物

少年時代の彼が直面したのが、性的マイノリティに対する偏見です。イギリスの上流階級に生まれ、名門のキングス・カレッジ・スクールに通っていた彼は、同性愛者であることが明るみに出て、学校から屈辱的な仕打ちを受けます。

しかし、21歳になる直前にフランシスさんと出会ったピータさんは、同性カップルであることを隠さず交際を続け、2005年に始まった「シビル・パートナーシップ制度」によって、結婚した夫妻と同等の権利が認められたイギリス初の同性カップルになりました。それだけでなく、制度に反対する勢力に抗うために結婚披露宴を開き、新しい時代の到来をメディアを通じて世界に知らしめたのです。

社会に出て経営コンサルタントになったピーターさんが目をつけたのは、企業における「暗黙のルール」でした。企業における語られないルール、そして変革を阻害する、見えざる障壁をそう呼んだ彼は、当時勤務していたコンサルティング会社で、企業をカルチャーごと変革するテクニックを提案します。

社内政治で潰されそうになりながらも、大口顧客を味方につけて形勢を逆転したピーターさんは、同社で最年少のジュニアパートナーに就任。世界を股にかけて活躍し、著名コンサルタントとして独立を果たしました。

困難を前にした彼の行動を裏打ちするのが、将来に対する鮮明なビジョンです。

人はマイナスの状況に置かれたときに、なんとかイーブン、ゼロの状態に持っていこうとするものです。しかし、ピーターさんは違いました。逆境の先に、プラスの価値を生むビジョンを打ち立て、そこに向けて突き進んだのです。

性的な差別がないだけでなく、ありのままに自分らしく生きることに誇りを持てる社会。旧弊を断ち切り、まったく新しい姿に生まれ変わる企業。そして、難病患者に限らず、誰もが肉体の制約から自由になれる未来。

目先の問題への対処にとどまらず、創造的な解決策を打ち出すことは、私自身、コロナ禍におけるスローガンとして掲げてきたのですが、ピーターさんの歩みには、その真髄を見る思いです。

もちろんビジョンを語るだけならば誰にでもできます。ピーターさんのすごみは、1人では歯が立たない難事業に多数の協力者を巻き込んで、大きなムーブメントにつなげていくことにもあります。

「ピーター2.0」の実現に向かう途上で、彼は協力を約束した団体や組織に裏切られたことがありました。一時は絶望の淵に沈んだ彼は、一念発起して有能な人材の協力を1つひとつ取りつけ、独立して研究を進める財団の設立にこぎ着けます。

多くの人々を引きつけたのは、難病患者であることを感じさせないどころか、どこまでもポジティブな彼の態度です。NHKの番組で私がお話しした際も、彼やフランシスさんの言葉の端々に現れる前向きな姿勢が、何より印象的でした。ピーターさんの流儀が気になった方は、『ネオ・ヒューマン』を、ぜひ手に取ってみてください。

人間拡張工学がもたらす自由

もちろん、誰もがピーターさんのようになれるわけではありませんし、無理をして目指すこともないでしょう。それでも彼の生涯からは、1人ひとりの立場ごとに学びがあると思っています。

工学(エンジニアリング)に携わる1人として私が見習いたいのは、人類の選択肢を増やすような研究開発をすることです。それによって人々をもっと自由にし、万が一生じたマイナスの事態を、ゼロからプラスに転じることができると考えるからです。

コロナ禍という想定外の災厄のもとでも多くの企業が事業を継続できたのは、Zoomなどの遠隔会議ツールがすでにあったおかげでした。私は以前から海外との共同研究などで使っていたのですが、当時は多くの人にとって縁遠い存在だったはずです。

一見、世間離れした選択肢でも、それを用意しておくことで、いざことが起きたときに人々を助けることができる。あるいは、新しいことにチャレンジする人にとっては、思いもよらぬ切り札になる可能性さえあります。

私の専門分野「人間拡張工学」では、第3や第4の腕、6本目の指、あるいは超人的な知覚などの実現を狙っています。文字どおり腕や指の数を増やすということだけでなく、人の能力をどこまで拡張できるのかを探りながら、肉体の制約から人々を自由にしたいとの考えです。

障害のある方のサポートはもちろん、身にまとったテクノロジーによって自らの能力が拡張したかのように人々に感じてもらいたい。ピーターさんも思い描いた物理的な身体からの解放を、私たちなりのアプローチで達成したいと思います。

ピーターさんの肉体と対面でお会いすることは叶いませんでしたが、いつかメタバースで「ピーター3.0」とお会いできること、願っています。

ピーターさん、勇気と希望にあふれる背中を私たちに示してくれて、どうもありがとう。