また、自分がこの人と一緒にいたことを知らせたい、楽しい時を過ごしたことを広めたい、といったケースもある。「今日は有名なこの人と会えた」などを自慢するタグ付けだ。
タグを見れば、友達が一緒にいた人のプロフィールを見られる。
Poparazziを通じて、友達と友達がつながっていく。しかし、Poparazziでつながるだけでは何もできない。実際に会って、相手の写真を撮らなければ、周囲につながったことを共有できないのだ。
ネットを通じて知り合いを増やしたとしても、重要なのはリアルでの交流だとするPoparazziの設計にぶれはない。
一方、Poparazziの検索画面を見ると、楽しそうな若者たちの写真が表示される。「CHALLENGES」機能で投稿にハッシュタグを付けると、Poparazziの全ユーザーに公開できるのだ。
「FEATURED POPS」に載ると、注目を浴びることもできる。幸せそうなカップルや大人数での集合写真を見ると、やはりリア充のアプリだと感じる。これでは、やはりSNS疲れを引き起こしてしまいそうだが、他人の視点からの投稿だからだろうか、あまり嫌味な印象はない。ここでバズったとしても、友達が人気者になるという結末しかない。
ところで、タグ付けしてくる人が全員良心的だとは限らない。なかには、相手が嫌がりそうな写りの悪い写真や過去の写真にタグ付けしてくる人もいるだろう。
Poparazziは、自分がフォローしていない人からの投稿は承認制となっている。フォローしている人からの投稿は自動的にプロフィールに表示されるが、気に入らなければ削除できる。また、不快なユーザーをブロックしたり、報告する機能も用意されている。性的な露出も禁じられており、運営元にアカウントを削除される。
なぜPoparazziが10代の心を捉えたのか。それは、「映え」や「盛り」に疲れを感じ始めた若者心理によるものだと考える。
誰もが羨む場所へ行き、美顔加工をたっぷり施した画像を投稿する。いいねを獲得し、フォロワー数を増やす。こうしたSNSの定石に若者は疲れを感じている。ありのままでいいのでは、と気づき始めたのだ。
さらに、コロナ禍で人との対面が減ってしまった。そこにClubhouseなどの音声サービスが出現し、人のぬくもりを感じさせた。Instagramライブも、現実の触れ合いに近い体験ができた。そして、対面しやすくなった今、友人と一緒にいることを分かち合いたいと考えている。ネットを通じてたくさんの人と交流するよりも、自分の周囲にいる人間と交流を深めることに価値を見出しているのだ。
「リアルの重視」は、指定された時間に自撮りと背景を撮影する「BeReal」や、撮影した写真を翌朝に確認する「Dispo」など、最近若者に注目されているアプリに共通する。この2つは加工を施したり、ほかのアプリでの撮影はできない。作り込む時間があるのなら、目の前の人と過ごす時間を大切にしようというコンセプトだ。
国内で「インスタ映え」が話題になり始めたのは、2017年頃のこと。SNSで映えることに夢中になってきた約5年間だが、国内の10代にPoparazziはどう受け入れられるのか。私は流行するのではないかと見ている。とはいえ、プリントシール機での加工が好きで、シャイな日本人の若者に浸透するには少し時間がかかりそうだ。