「似ている人やよく見かける人」を好きになる理由

研究では、参加者に「相手のコミュニケーションスタイル」について評定を求めていた。この評定を分析したところ、コミュニケーションに満足している参加者は、「相手のスタイルが自分に似ている」と回答していたのである。

実際には反対のスタイルで応答されて満足していたにもかかわらず、満足して相手を好ましく思ったことが、類似性の知覚を高めていたのである。「好ましい人だから、私と似ているのだろう」という認知だ。わたしたちは、似ている他者を好きになるだけではなく、好きな人だから似ていると思うこともあるのかもしれない

わたしたちの日常生活においても、「類似性の影響」はよく見られそうである。

自分の部下が、仕事に対して自分と同じような取り組み方をしていれば好ましく思うだろう。もしかしたら、同じ学校の出身とか趣味が一緒というだけでも、その部下を肯定的に評価してしまうかもしれない。

部下もそうした「類似性の効果」を知っていて、上司との共通点を強調したり、さらには上司と話を合わせたりすることもありそうだ。

わたしたちは、近くにいる人に好意を持つことがある。近所に住んでいるとか、同じ部署に所属していると、顔を合わせる機会も多い。学校の席が近いことも友人となるきっかけとなる。この点について検討した研究(Segal, 1974)を紹介しよう。

研究は警察学校で実施された。44名の男性訓練生は、訓練開始から約6週間たった時期に、3人の親しい友人の名前を書くように依頼された。30名が少なくともひとりは警察学校の友人の名を書き、全体では学校から65人の名前が挙がった。

友人の名前を書いた人と、書かれた人の関係を見ると、名字のアルファベット順が近いことがわかった。じつは、この学校では名前順に部屋の割り当てやクラスの席が決められていた。部屋や席が近いから、訓練生どうしで親しくなったのである。

よく見かけるだけで「好意」が生じることも

近くにいる相手とは、相互作用するためのコストが小さい。コストが小さければ接触の機会も多くなって相手のことをよく知ることができる。ただ、相手のことをよく知る前から、わたしたちは、すでに相手に対する肯定的感情を持っている可能性もある。よく見かけるだけで、好意が生じることもあるのだ。このことを次に見ていこう。

人が判断対象に複数回接触すると、その対象に対して肯定的態度が生じることがある。この現象は「単純接触効果」(Zajonc, 1968)と呼ばれている。

この現象の理由についてはいろいろと検討されているが、よく挙げられるのは「対象の処理効率が高まり、生じた親近感が対象の好ましさに誤帰属される」ということである(Bornstein & D'Agostino, 1992)。これを日常的な例で説明しよう。

通勤の朝、自宅近くのバス停でいつも同じ人たちとバスを待つことを想像してほしい。そこに、見たことのない人が来たら「この人は誰だろう?」と思う。「通勤時間が変わったのかな?」とか「近所に引っ越してきたのかな?」といろいろ考える。新奇な対象に対しては、情報処理をする必要がある。もしかすると危険な相手かもしれないからだ。

それに対して、見慣れた対象に対してはいちいち考える必要はない。バス停でいつも見る人が今朝もバスを待っている。「今日もいるな」とは思うかもしれないが、それ以上のことは考えない。いつも通りであれば、さらに情報処理をする必要がないのだ。

このようなスムーズな処理は「ポジティブな感じ」を生じさせる。「ポジティブな感じ」は処理がラクなことから生じている。けれども、わたしたちはそれが判断対象自体から生じていると勘違いしてしまう。これが、さきほど紹介した「誤帰属のメカニズム」である。