では、どうして怒りが起きるのか、ここから考えてみましょう。多くの人は、気づいていないかもしれませんが、誰もが心の奥底で「自分が正しい」と思っています。
「いや、私はそんなことない」という人も、時には怒ることがあるでしょう? 「自分が正しい。相手は間違っている」と思うから、怒るのです。「相手が正しい。自分は間違っている」と思えば、怒らないはずです。いつも私たちは自分の正しいと思い込んでいる基準で、物事を見ていて、「それは受け入れられない!」と心が拒否したとき、怒りになります。
しかし、この自分の基準は、“思い込み”にすぎないのです。海外を旅し始めたころ、タクシーやレストランで、私が日本人だとわかると、よく料金を吹っかけられたものです。
ある国でタクシーに乗ったとき、5分で着くはずのホテルなのに、15分ほどぐるぐる回っていたことがありました。途中で「そんなに時間がかかるはずないでしょう!」と言っても、相手は強気で「これが正しい道順だ」と言い張ります。しかも予想の3倍も高い料金を払わされることに。ホテルのフロントに事情を説明すると、「それはだまされたね」と言ってガハハと高笑い……。
ほかにも何度も、料金を吹っかけられることがあり、「この国の人は人をだまして、何とも思わないのかしら」と、しばらくイライラしどおしでした。
しかし、そんなことを繰り返していると、「ここでは外国人からお金を高くとるのが常識。だまされるほうも悪い」ということがわかってきます。相手も大切な家族の生活がかかっているのでしょう。といっても、こちらも相手の要求に従ってばかりもいられません。事情がのみ込めたら、あとはお互いの知恵比べで勝負です。
現実に起こっていることのほうに、真実はあります。現実を「そういうことか」と受け入れる覚悟ができたら、それほど腹を立てずに対策を立てて、進んでいけます。
怒りは、自分の基準で勝手に作り出している感情であり、自分自身の問題です。これは極端な例かもしれませんが、日常生活や仕事で、「自分は正しい。相手が悪い」と怒っていても、相手は「自分が悪い」とまったく思っていない場合が多々あります。
「現実のなかに真実はある」、そう思って相手の立場からも現実を見ようとする姿勢が、やわらかい心を作り、簡単にうろたえない感情を作るのではないでしょうか。
うまくいかないことを、すぐに何かのせいにして、怒る人がいます。怒っているときは、「誰か(何か)が悪い。私は被害者」と問題を転嫁(てんか)し、自分を正当化しようとします。
でも、本当に“被害者”なのでしょうか。