「鋼のメンタル」と言われる私ですが、感情がまったく揺さぶられないわけではありません。でも、つねに最適解を選び続けているという自信はあります。それはメンタルの差というよりは、思考法の差だと、私は思うのです。
いいことが偶然起こったときは「ツイている」、反対に悪いことが偶然起こったときは「ツイてない」と表現することがあります。たしかに、そういう局面が現れるのは事実です。人生も、そして麻雀も偶然のゲームなのですから。
ただ、よく考えてみてください。これらの「ツイている」「ツイていない」の評価は、過去に起こった偶然を評価しているにすぎません。この先、何が起こるかには、まったく影響しないのです。
「ツイている」=未来にも幸運な偶然が起こる
「ツイていない」=未来にも不幸な偶然が起こる
つまり、このようにはなりえないわけです。1つたとえ話をします。
中身の見えない袋の中に、白い石と黒い石が1枚ずつ入っています。ここから無作為に1枚だけ取り出します。ちなみに、白と黒が選ばれる確率はまったく同じです。これを戻して引くという作業を10回行ったとして、10回連続で黒が出たとしましょう。そのとき、次に黒が出る確率は何%でしょうか?
答えは当然50%です。黒の碁石が10回連続で選ばれる確率は、2分の1の10乗ですから非常にまれです。だからといって、次も黒が選ばれる確率は2分の1でしかありません。
ある事象が続いたとき、「次も同じ事象が続くのではないか?」と錯覚してしまう心理のことを、心理学の世界では「ギャンブラーの誤謬」といいます。そもそも「ツイている」「ツイていない」という現在進行形の表現がそもそもおかしいのです。過去のことなのですから、「ツイていた」「ツイていなかった」が正しいのではないでしょうか。
「ツイていた」からといって、次の結果がよいものになるとは限りません。同様に、「ツイてなかった」からといって、次も悪い結果になるとは限らないのです。未来の結果は、過去の結果とは関係ありません。独立した因果関係によって、未来に起こるべきことが一定の確率で起こるだけです。
ビジネスやプライベートでも、まったく同じことが言えます。今週の競合コンペで負けたからといって、来週のコンペで負ける確率が高まるわけではありません。同様に、今週のお見合いでフラれても、来週のお見合いでもフラれる確率が高まるわけではありません。
どちらも、今週と来週とでは別の因果関係で結果が出る、別のゲームだからです(ただし、意気消沈してあなたのパフォーマンスや魅力が下がることで、うまくいく確率が下がることもあるかもしれませんが、そもそも意気消沈する必要もありませんし、それはここでは考慮しません)。
私たちはつねに、一瞬一瞬でベストを尽くしていくしかないのです。
2つの道の分岐点に立ったとき、どちらを選択すべきか? その選択次第で、人生が大きく変わる。そういう場面は誰でも緊張しますし、身の引き締まる思いだと思います。
仕事やプライベートでも、こういう場面に出くわすことでしょう。転職や起業をするべきか、今の職場にとどまるべきか。重要なビジネスパートナーに、伝統と安心の大企業を選ぶのか。イノベーティブなベンチャー企業と組むのか。
世に名を残す優秀なビジネスマンや経営者は、多かれ少なかれこうした決断を果敢に行っています。「持ち帰って検討します」では、チャンスを失ってしまうかもしれません。
麻雀も人生も、決断と選択の連続です。運の要素もありますが、よりベストな選択をし続けた者が最終的には勝者になります。ですから、「リスクとリターンを天秤にかけて、より勝利に近づく確率の高い決断を繰り返していく」というのが、勝負事に対する真摯でロジカルな態度といえます。