締め切りは「守る」ではなく「延ばす」のがいいワケ

私たちはある実験で、ビジネススクールの学生に、小論文を書く課題を与え、締め切りは柔軟に設定した。もし学生がもっと時間を必要としたら、指導教官にメールを送って延長を求めることができ、それで評価が下がることはない。延長を求めた学生ほうが、質の高い小論文を提出し、高い評価をもらった(採点した教授は、誰が締め切りの延長を許されたかは知らなかった)。

締め切り延長の依頼には、別のかたちのものもある。何日か休暇を申請してストレスを発散し、仕事に戻ったときには思う存分、力を発揮できるようにするのだ。燃え尽きてしまったら、良い仕事はできないし、やる気も出なくなる。

雇用者にとっても、数日間の有給休暇のほうが、あなたがきちんと仕事をこなせなかったり、挫折して退職してしまったりするよりも望ましい(そして、コストがかからない)。

辞表を提出する代わりに送った1通のメール

このように追い詰められた状態に陥った人の1人がワンダで、彼女は癌専門医のオフィスのアシスタントとしての仕事に、すっかり参ってしまっていることを筆者に打ち明けた。週4日という条件で給料をもらっていたけれど、患者が増えて、それに対応するために、しばしば週5日働いていた。休憩時間もとれないし、週末や祝日も勤務することが多かった。

成人している娘のリーアはワンダに、何時間も余計に働いているのだから、なぜ昇給を求めないのか、なぜ少なくとももっと休ませてくれるように言わないのか、と尋ねた。「先生を困らせたくないのよ」とワンダは娘に答えた。「先生が、どんなに忙しい思いをしているか、わかっているから」。本当は、そんな要求をしたら、仕事ができない人だと医師に思われてしまうのが心配だったのだ。ワンダは、他に選べる働き口がほとんどないときに、解雇されることを恐れていた。

数カ月後、リーアはワンダがリビングルームのテーブルの前で疲れ切って泣いているのを見つけた。2人で出かけて土曜日の午前を楽しむ前に、どうしてもあと何時間か使って仕事を片づけておこうとしていたのだった。

もう限界だった。ところが、ワンダは昇給も休暇も求めるつもりはなかった。辞めることにした。リーアが入ってきたとき、ワンダは辞表を書いていた。リーアは母親に、それとは違う道を選んでほしかった。そこで、もっと穏やかなメールを書くことを提案した。

ワンダはリーアの助けを借りながら、毎週、無報酬で8~10時間余計に働いているという事実をそのメールで伝えることにした。そして、その分も給料を払ってもらうか、あるいは、5日間の有給休暇をもらって、これだけ長い時間余計に働いた疲れを癒やすかしていいのではないかと感じていることを書き記した。

すると、医師からすぐに返事が来た。それほど多く余計に働いているとは、夢にも思わなかったという。そして、今後、超過勤務の時間の分を全部請求するようにワンダに頼んだ。そのうえ、ワンダはただちに5日間の有給休暇を与えられた(しかも、スパ用のギフト券もいっしょに!)。ワンダが休暇を楽しんでいる間は、代わりのアシスタントを見つけて穴埋めしてもらうそうだ。それから2人は、日時を決めて相談し、パートタイムのアシスタントを雇って週に1日手伝ってもらう可能性を検討することにした。

意外と締め切りの融通は利くので、交渉の価値アリ

ノーと言うことに対するワンダの恐れは、無用のものだったことがわかった。医師ががっかりするだろうというワンダの恐れは、間違っていた。タイム・リッチ(時間的に裕福)になることについて私が面接した人のほとんどが、昇給を求めて交渉できるのと同じように、仕事での時間を求めて交渉する選択肢もあることを忘れていた。