ついでに言えば、診療報酬制度の引き下げには日本医師会が抵抗するため、薬価引き下げで帳尻を合わせることが多い。製薬会社が新薬を開発してもすぐにあまり儲からなくなるため、ワクチンや新薬を開発するインセンティブを下げてしまっているという実態もある。
日本医師会は医師たちを代表する位置づけとして、政府に対応しているが、実際には任意団体で32万人の医師のうち会員は17万人だ。うち開業医8万3000人、残りは勤務医や研修医だが、勤務医は医師会に入っていても忙しく医師会の活動などできないので、成功した開業医の利権団体になっている。つまりは新型コロナについては何の苦労もしていない医師たちを代弁する組織である。
内部事情に詳しい医師は「東京都医師会の尾崎治夫会長は『医師会は任意加入団体だから会員に強制なんてできない。皆の意見を伝えるだけの団体だ』と言っている。それなら、医師の代表として政府との交渉の窓口になっているのはおかしいではないか」と憤る。
メディアの多くは新型コロナと闘う公立病院の医師・看護師たちの姿を取材して、これと対比して「国民の危機意識が低い」といった報道姿勢だ。こうした対立構造を演出しているのが、記者の取材に対し「国民の気の緩み」といった発言を繰り返す日本医師会の中川俊男会長をはじめとする幹部や政府の対策分科会の医師たちである点には注意が必要だ。
その一方で、医師会や分科会はこの1年半、医療体制の拡充に本気で取り組まず、政府や自治体の「お願い」に対し追加手当ばかり要求してきた。民間病院や開業医の診療への参加は心あるごく一部の医師による自主的なものにとどまっている。民間経営とはいっても、公的インフラとして診療報酬で守られているのだから、パンデミック危機という国難で動かないのなら、今後も見据えて診療報酬制度の抜本的な見直しを行うべきだ。
大手メディアは専門家、専門家と持ち上げるが、「民間で診るのは無理」とできない理由をあげつらう人々が真のプロフェッショナルといえるのだろうか。また、いつまでこの逃げ口上を続けるつもりだろうか。どんな業界でもプロであればできるようにさまざまな連携や協力、工夫をこらして解決に努力するものだ。実際にそうしている医師も少ないが存在する。
今年2月に新型コロナは法的に「新型インフルエンザ等感染症」として位置づけられ、感染症対策としては、国民の私権を最大限に制限できるようになった。ところが、新型コロナ感染症対策分科会の尾身茂会長や知事たちはもっと制限できるよう法改正せよという。全体主義国家を目指せというのか。
学校の学校の夏休みを延長せよという尾身氏の発言が注目されているが、たびたびの対面授業の削減は、将来を担う子どもたちの教育に禍根を残しうる。新型コロナのまん延防止の観点だけでは決められないことで違和感がある。このような事態を招いているのは、政府が決断力を持たずに、分科会に頼っているためだ。「政府が対策案を分科会に諮る、という状態は完全に役割が転倒している。野党も国会で尾身さんに答えさせるのがおかしい。官邸がまったく機能しなくなっている」とピクテの市川氏は指摘する。
本来、分科会はあくまでも感染症の専門家として政府に意見を具申する立場だ。新型コロナに対してどういう戦略を取るのかについては、感染症の専門家の意見のほかにも社会的、経済的、政治的なさまざまな観点の情報・意見からも総合的に考えて、政府、つまりは菅首相が最終的に決断すべきものだ。
政府は新型コロナから逃げている医療従事者にもっと強い権限を行使するべきだ。医療関係者に医療の提供を要請する法律の条文としては、改正感染症法16条の2の他に、新型インフルエンザ等対策特別措置法31条もある。 この法律ではコロナ診療を、直接に法的拘束力を持って医療者に強制することができる。その不服従には行政処分を行うという運用もありうる。ちなみに、特措法の改正で今年2月には飲食・宿泊業者などを念頭に事業者が従わない場合の過料を定めた。
一般の守られていない事業者を対象に、十分な補償もせずに素早く過料の規定を導入しておいて、なぜ、公的制度で守られている医師に強制力を働かせようとしないのか。特措法31条を抜かずの宝刀にしておかずに、その運用も検討するべきだ。「既得権益を打ち破る」と就任時に語った菅首相の政治力が問われる。