現代社会では、かつてないほど多くの人が不満を抱えながら生きている。不満がない人でも、たいていは「幸福」を追いかけることに躍起になっている。
社会もメディアも、何かを成し遂げた人や、成功した人をもち上げては、僕らにこうなるべきだ、こう生きるべきだというイメージやコンセプトを押しつけてくる。
でも、名声、お金、華やかさ、セックスは、どれも僕らを満足させてはくれない。むしろ、僕らは欲望を募らせ、いらだち、幻滅、不満、不幸、消耗という悪循環に陥っていく。
ここで、「モンク・マインド」といわゆる「モンキー・マインド」と呼ばれるものが、どれだけ違うかを話しておこう。
心は使い方次第で人を気高くもすれば、卑しくもする。心にはそういう力がある。僕らはとかく、ものごとを考えすぎたり、先延ばしにしたり、不安に悩まされたりするが、そういうときはモンキー・マインドに陥っている。
モンキー・マインドは、こっちの考えからあっちの考え、この問題から別の問題へと、せわしなく飛び回るだけで、何一つ解決しない心の状態を指す。
でも、そんなモンキー・マインドをモンク・マインドに育て上げることは不可能じゃない。自分が求めているものの根っこの部分を掘り下げて、成長するために実行可能なステップを見つければいい。
モンク・マインドは僕らを混乱と注意散漫の沼から引き上げ、ものごとを見きわめる明晰さと、人生の意味と方向性を教えてくれる。
「モンク・マインド」は、僕らに、今とは違う人生観、違う生き方を見せてくれる。その新しい生き方では、反骨心、無執着、再発見、目的、集中力、自制心、奉仕が鍵を握る。
モンク・マインドがめざすのは、エゴ、嫉妬、欲望、不安、怒り、不満、悩みから自由になることだ。
僕に言わせれば、モンク・マインドは入手可能なだけではない。必要不可欠なものだ。他に選択肢はない。僕らは落ち着きと静けさと安らぎを必要としている。
人はみな、程度の差こそあれ、無意識に俳優のように演技をしているようなものだ。ネットの世界で演じる役柄、職場や友人の前で演じる役柄、家庭で演じる役柄……というように、ペルソナを使い分けている。
もちろん、それにはそれなりのメリットがある。その役柄を演じるからこそ、生活費を稼ぐことができるし、居心地のよくない職場でも仕事を続けられる。たとえ、いけ好かないと思う相手でも、付き合わなければならない相手なら、付き合っていける。
でも、そういう役柄を幾重にもまとっていると、そのうち、ほんとうの自分が埋もれてしまう、なんてことが起きる。もっとも、ほんとうの自分が何だったかを知っていればの話だ。