各国は、最大のライバルである日本戦に、NPBでプレーする選手をぶつけてきた。日本はアメリカのニック・マルティネスやドミニカ共和国のC.C.マルティネスなどの先発投手を攻めあぐんだ。またアメリカのタイラー・オースティンは日本投手陣の最大の脅威になった。いわば「日本の敵は日本」だったのだ。
日本は5戦全勝で優勝したが、1点差のサヨナラ勝利が2試合、2点差が1試合、3点差が2試合。楽勝は1試合もなかった。6カ国がこのメンバーでペナントレースを戦えば、日本が圧勝するだろうが、短期決戦では瞬間最大風速で日本を上回りそうなチームもあったのだ。
今大会で異色の存在はイスラエルだった。イスラエルにはプロリーグがあるが、そこから招聘された選手は少ない。アメリカでキャンプを張り、ユダヤ系の選手を集めてセレクションを行って陣容を決めた。中にはイアン・キンズラーのような大物選手もいたが、現役大学生や、すでに引退してMLB球団職員になり、五輪のためだけに復帰した選手もいた。今季は野球をまったくしていない選手もいたのだ。
キャリアではなく「動けるかどうか」で選んだ選手が、ドミニカ共和国や韓国に「あと1点」まで迫り、メキシコに勝ってイスラエルに「五輪初勝利」をもたらした。今五輪で敢闘賞をあたえるとすればイスラエルだった。日本との対戦がなかったのが残念だ。
日本が金メダルを取って各放送局の野球解説者たちも胸をなでおろしていた。印象的だったのがNHKの藤川球児氏だ。
「野球離れが進む中、侍ジャパンがよくやってくれた。これで野球を始める子どもたちが増えてくれたらいいと思う」
藤川氏は2015年、MLBから日本に復帰し、2カ月だけ郷里の独立リーグ高知に入団した。筆者は入団会見を取材したが、そのときも「高知でも野球をする子どもが減っている中、少しでもプレーする姿を見せたい」と言っていた。この問題意識は重要だろう。
日本代表は、2006年、2009年と“野球のワールドカップ”であるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で連覇した。王貞治、原辰徳が監督を務め、松坂大輔が2回連続でMVP、イチローやダルビッシュ有、小笠原道大などの選手が大活躍した。
この頃から野球少年の夢は「甲子園、プロ野球選手」から、「WBC、世界の舞台での活躍」へと変化した。2006年WBCのとき大谷翔平は12歳、2009年WBCのとき山本由伸は11歳。今、世界で活躍する選手は、WBC、世界という新しいステージを夢見て野球をするようになったのだ。学童野球の競技人口は2006年は16万9954人だったが、2回のWBCを経た2009年には18万58人と約6%増加した。
しかしこの2009年をピークとして競技人口は減少し続け、2019年には35%も減った11万7176人になっている。中学、高校の競技人口も激減している。
東京オリンピックを機に、野球をする子どもが増えてほしいと切に願う。しかし野球五輪競技は次回2024年のパリ五輪では行われない。2028年のロサンゼルス五輪で採用されるかどうかもわからない。
MLBとMLB選手会は2023年に第5回のWBCの開催を予定しているが、予選などの詳細はまだ明らかではない。子どもたちが夢見る「世界のステージ」が今後あるかどうかはまだ不確かなのだ。
IOCが野球を五輪競技に組み入れることに消極的なのは、野球が北中米と東アジア地域を除いてはマイナースポーツであることと同時に、世界最大の競技団体であるMLBがまったく非協力であることが大きい。MLBが選手を派遣しない限り、オリンピック野球競技が「世界最高峰のステージ」になることはないと言ってもいい。