当時パーソナルコンピューターの世界のど真ん中にいた人ですら、そんな将来を見通したわけで、そう考えると景気動向をはじめ、コントロールできないことに不安になることにどれくらい意味があるかといえば、およそ専門職の人が職業上必要な程度ではないでしょうか。
僕自身も、今後の景気のおおまかな見通しはある程度自分なりに持ってはいますが、それが当たるか当たらないかは、どうでもいい話だと思っています。
また、経営学者のピーター・ドラッカーもまた、「未来の予測は無駄である」と指摘しています。
「未来は予見できない。ある程度予測できるという人がいたならば、今日の新聞を見せ、10年前にどれを予測できたかを聞けばよい」(ピーター・F・ドラッカー著『【エッセンシャル版】マネジメント 基本と原則』ダイヤモンド社)
これが書かれたのは1973年。インターネットすらない時代にもかかわらず、彼は未来の予測は無駄だとする予測を言い当てるという、なんとも皮肉な言葉を記しています。
なにかを予測すると、次はなんらかの計画に落とし込もうとするものです。でも、かの経営学の巨人が、そんなことには意味がないと断言しているのです。
話が少し大きくなりましたが、結局いいたいことは、大切なのは「自分がコントロールできて、かつ重要なこと」に集中することであって、「未来」はそこには含まれない、ということです。
多くの人が、不安にとらわれ、行動に移せずにいるなかで、なにに価値を置いてこれからの時代を生きるのか?
それを見極め、行動に移していくことが、その人だけのオリジナルの人生につながっています。