時間とお金――両者には共通点がたくさんある。ともに測定可能で稀少。どちらも、私たちにとって最も貴重なものと、たいていの人が言うだろう。誰もが時間とお金をもっと欲しがり、一生懸命働いて手に入れようとする。
ところが、大人になるとたちまち思い知らされるのだけれど、時間とお金はこれほど共通点をもちながら、二者択一であり、働いているかぎり、その状態が続きそうに見える。両方とも望むだけ手に入れるのは難しい。私たちはたいてい妥協し、どちらかを選ぶ。「お金があれば時間がない」「時間があればお金がない」という古い格言は正しいように思える。
私たちは気がつくと、何度となく時間とお金のどちらかを選んでいる。自分で料理をするか、それとも外食するか? 働くか、それとも休暇をとるか? 副業を見つけるか、それとも子どもたちともっと時間を過ごすか?
私は博士課程にいた頃、この時間とお金のトレードオフにおおいに興味をもった。1つには、博士課程の学生の暮らしが、お金をかけて時間を確保し、何年間もほとんど金銭的な報酬がないままに、新しい思想や概念の専門家になるという、意識的な選択だからだ。私は好奇心を満たすために、時間とお金という、とてもシンプルで普遍的に価値のあるものについて、デンマークの百万長者から、アメリカや東アフリカやインドでその日暮らしをする子持ちの共働きの夫婦やシングルマザーまで、世界中の成人勤労者を何千人も調べた。
人々の回答を見て何よりも驚いたのは、時間とお金に関わる決定の多くが実に重要でありながら、それを下すときにはごくささいなものにしか見えないという、ギャップだった。
時間とお金のトレードオフは、見たところあまりに退屈だったり明白だったりするので、私たちはそのトレードオフをしているのに気づかないことが多い。調査をしている間に、そして、自分の人生でも、人々が時間とお金に関して下す決定について、さまざまな話を繰り返し耳にした。
ニコールは大手クレジットカード会社の新任エグゼクティブで、夫のトマスは多忙なVP(ヴァイスプレジデント)だった。2人はめったに同じ市内にいることはなく、もう何年も、いっしょに休暇をとったことがなかった。ある日、トマスは思いがけない幸運に恵まれた。費用はもつから、国外出張を1週間延長し、スイスアルプスを楽しんでくるようにと、気前の良いクライアントが言ってくれたのだ。これは一生に一度のチャンスだった。トマスは妻に頼み込んだ。
「ニコール、どうか、いっしょに来てほしい。数日間だけでいいから」
ところがニコールは、ため息をついて答えた。「行けない。大切な会議があって、欠席するわけにはいかないから」。トマスはしかたなく代わりに妹のリーアと出かけ、思う存分楽しみ、それは兄妹のどちらにとっても「これまでで最高の旅」となった。