SFプロトタイピングは「バックキャスティング」的な方法である。「バックキャスティング」とは、先に起こる出来事を考えてから逆算して今を考えることを意味する。対義語は「フォアキャスティング」だ。
フォアキャスティング的な未来予測は、これまで多くの企業が行ってきたことの1つで、現在の科学技術や社会状況から演繹し、実現する確率の高い未来を想定してゆくものである。しかし、この方法では、斜め上の未来は想像しにくい。
先にSF的なビジョンありきで、それを成立させるための技術や、そこに対する対応策を探っていったほうが、VUCA(変動性Volatility、不確実性Uncertainty、複雑性Complexity、曖昧性Ambiguity)の時代と言われるいま、ほかにない独自の強みを得られるのだ。
SFプロトタイピングの可能性をもう少し知ってもらうために、そもそもSFとは何かを簡単に話そう。
「SF」と聞いてあなたが思い浮かべるイメージは何だろうか?
宇宙人、光線銃、アンドロイド、空飛ぶクルマ……荒唐無稽なものから比較的現実的なものまで、なんとなく未来っぽさのあるガジェットを思い浮かべる方が多いかもしれない。もちろん、それも間違いではない。しかしSFとは、単に技術を描くジャンルではなく、何よりも「スペキュラティブ」なものだ。スペキュラティブとは「思弁的」の意味で、現状の社会のリアルを描くだけではなく、現実から外れた未知を、そして、価値を思い描くことを意味する。
例えば、空飛ぶクルマを描く際、その機能を想像するだけではなく、それが社会、生活、倫理に与える影響と変容した世界を思弁=スペキュレイトすること。それがSFのSFたるゆえんなのだ。
SFの歴史を遡れば、最初にSFという文学ジャンルを世にもたらしたのは、ヒューゴー・ガーンズバックという編集者/技術者であった。ガーンズバックは「サイエンス・フィクション」という名称を生み出し、科学者にインスピレーションを与え、科学のイメージと魅力を一般に共有するための物語を掲載する雑誌『アメージング・ストーリーズ』を1926年に創刊した。
以降、SFはサブカルチャーの中で生息域を拡大していくのだが、そこに徐々に文学的な流れが入り込み、現実の資本主義への批判や、技術そのものへの警鐘、技術と私たちの関係を批評する物語がSFの力強い流れを創り、現在に受け継がれてゆくことになる。
そのなかで、コンピュータとネットワークの価値に早くから注目していた「サイバーパンク」といったサブジャンルが登場したり、SFという頭文字が「スペキュラティブ・フィクション」として解釈されるようになったりして、SFは大きな市場と一定の社会的地位を確立するのである。
このようなSFの特性は、これまでさまざまな形でイノベーションに影響してきた。
例えば、ロケット工学の基礎を築いたロシアの研究者コンスタンチン・ツィオルコフスキーはSF作家でもあり、「SFの父」とも呼ばれるフランスの作家ジュール・ヴェルヌの小説『月世界旅行』から影響を受けていた。例えばアイザック・アシモフが小説内で示したロボット工学三原則は、さまざまなロボット工学者に影響を及ぼした。そういった例は、枚挙にいとまがない。
より最近では、人工知能(AI)の技術的特異点(シンギュラリティ)の概念が好例である。シンギュラリティとは、AIが発展して賢くなり、技術やサイエンスの担い手が人間からAIになると、技術の発展に不連続で予測不可能な段階が出るという考え方で、未来学者(フューチャリスト)のレイ・カーツワイルが唱えて一躍有名になった。しかしこれはカーツワイルが単独で考えたわけではなくヴァーナー・ヴィンジというSF作家と共同で作った概念である。