マネジャーがリーダーシップの邪魔をする理由

リーダーはいるのに、リーダーシップがない……ふつうの人でもリーダーシップを持つにはどうすればいのでしょうか(写真:yongshan/PIXTA)
リーダーシップの不在が、日本が直面する課題である。リーダーはいるのに、リーダーシップがない。もともとリーダーシップの考え方は、アメリカから持ち込まれたもので、わが国の土壌では、自生しにくいものだと思われている。しかし、組織で生きていく私たちにとって、リーダーシップは必要だ。とくに、環境の変化が激しく、先行きが見えないゆえ、変化と風を吹き込む存在が不可欠なのである。
といっても、日本人にとって、リーダーシップの考え方はまだまだしっくりこないのも現実である。ふつうの人でもリーダーシップを持つにはどうすればよいか?
こうした問題意識をもとに、このたび『ゼロから考えるリーダーシップ』を上梓した経営組織研究の第一人者である髙橋潔氏が、昨今のニュースやアンケート調査を題材に、リーダーとビジョンについて解説する。

謙虚さと自己主張

2021年3月、バイデン政権の閣僚ブリンケン国務長官とオースティン国防長官が、わが国を表敬訪問したときのこと。菅総理が、オースティン国防長官に向かってお辞儀をしている写真が、世界中を駆け廻った(「Biden’s Blitzkrieg Diplomacy is all about China」 Asia Times 2021年3月21日)。

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物腰は柔らかいが、大柄なオースティン長官に、制服組トップの独特な威圧感を感じたのか。日本人特有の丁寧さや謙虚さを示すためなのか。それとも、外国メディアのたくらみか。

まるで天皇陛下に謁見するように、権威に対して畏敬しているように見える首相。政権に忖度したためか、わが国のマスコミではあまり報道されることはない。しかし、これを目にした欧米や中国のメディアは、わが国のリーダーの姿に失笑を禁じえず、日本の立場を再確認した。国家としては独立しているが、精神としてはいまだに占領されたままにあるようだ。

フォロワーでいることは、スネ夫のポジションであっても、けっこう心地良い。

同じ日に、日米外務・防衛閣僚会議が開かれた。茂木外相は、会談後に、安全保障の面で中国を名指しして批判を行った。アメリカの後ろ盾を借りた共同声明という形で、ペーパーを間違えないように読みながら。トラの威を借るキツネか、オオカミの遠吠えか?

利害の調整ばかりに走っていると、自己主張ができなくなる。面と向かって敵対することを恐れ、周りの顔色をうかがっていると、内の中での秩序と序列が気になって、外で戦えなくなってしまう。「内弁慶の外地蔵」ということわざがあるように。

3日後、アラスカで米中外相会談が行われた。冒頭でブリンケン国務長官が、ウイグルや香港や台湾の人権問題に加えて、安全保障や経済などの幅広い分野で、中国が国際秩序を脅かしていると批判すると、外交を統括する楊政治局委員が「ブラック・ライブズ・マター」を引き合いに出し、アメリカの人権問題を批判するという異例の展開となった。

撮影が終わりかけたとき、アメリカ側が報道陣を呼び戻し、「日本で聞いた話とまったく違う」と反論をすると、再び中国側がマスコミを呼び戻し、「アメリカは外交儀礼に反しているし、国際世論を代表する立場にはない」といって、公開の場で批判の応酬となった。なんとまあ。

お互いに相手国の国内問題に言及し、内政干渉気味となった会談のやりとりはいただけないが、自分の主張すべきことは正々堂々と主張する。それがトップの役割であり、国や組織を代表する人材に必要な資質である。