皆さんも配膳するときにマスクを着けていた記憶があるのではないでしょうか? これは国や自治体が指導して徹底させたわけではなく、現場から自然発生的に生まれた習慣のようです。今回、私たちが政府や自治体から強制されたわけでもないのに、自発的にマスクをつけたことと、これも似ています」
高度経済成長に伴い、日本では1960年代から各地で大気汚染が深刻になっていく。1980年代になると、花粉症が爆発的に流行し始めた。そうした結果、マスクはますます身近になっていく。一方、近年では、若い世代を中心に「だてマスク」なども広がり、マスクがファッションとしても定着。独自のマスク文化が育まれてきた。
日本のマスク着用率を長期にわたって調査したデータはないが、新型コロナウイルスが広まった昨年春からは、各国の着用率のデータがある。
日本リサーチセンターとイギリスの調査会社YouGov社が、23の国・地域で実施したインターネット調査(2020年3~5月から2021年2月上旬まで)によると、「公共の場ではマスクを着用する」と回答した割合は、日本では2020年3月中旬に62%だった。
それが、1度目の緊急事態宣言が出されていた5月上旬には86%に急上昇。2度目の緊急事態宣言が出されていた2021年1月中旬にはついに90%に達した。2月上旬になっても88%となり、高い水準を保っている。
一方、同じ期間、アメリカも5%から80%へ、フランスは12%から81%へ、スペインも25%から88%へと急伸した。住田氏は「各国ではマスクの着用が義務化されたことで着用率が伸びました。各国と比べ、日本は例外的に義務化されていないことを考慮すると、着用率は非常に高いと言えます」と話す。
住田氏はこれまで、自然保護や大気汚染の歴史について研究を進めてきた。雑誌『現代思想』に花粉症の患者会に関する文章を寄稿したところ、編集部から「マスクについて書いてみないか」と勧められ、昨年春から幅広い資料に当たり、分析を続けている。
では、この1年間の研究でマスク史の何が見えてきたのだろうか。
「韓国や中国の研究者と議論する中で知ったのですが、20世紀前半、日本の植民地だった朝鮮半島の京城(現在のソウル)では、『マスクを着けている人=日本人』と見られていたそうです。
また1930年代の上海では、日本兵の黒いマスクは衛生的であると同時に暴力性の象徴であると、中国の人たちに捉えられていました。朝鮮や中国にとっては約100年前から、マスクが日本の象徴だったということを知り、驚きました」
感染症にかかりたくないという気持ちは、万国共通のはず。しかし、アメリカでは、マスクの着用を巡って市民が口論することもある。
では、なぜ私たちは、マスクを着けることに違和感や抵抗感があまりないのか。「横並び意識の強さ」「人にうつしたくない」「清潔好き」など、日本人の国民性と重ねて語られることが多いが、住田氏はどう考えているのだろうか。
「1930年代にスペインかぜが流行したとき、欧米でも多くの人がマスクを着けていました。でも、それは定着しませんでした。一方、日本ではマスクを着けることが定着し、日常の一部になりました。私が取り組んできた歴史的な側面からは、“過剰な近代化”と言えるのではないか、と考えています。
日本は明治時代の文明開化で近代化を進めた際、“西洋=近代的ないいもの”という意識が強く、西洋のものを過剰に取り入れてきました。その後も日本社会には、それぞれの時代で新しい生活様式を積極的に取り入れようとする機運がありました。マスクの浸透もその一環だったのではないかと見ています。
私の研究の範疇ではありませんが、文化の違いについてはいろいろ議論されていて、人の感情を読み取るときに、欧米では『口元』に、日本では『目元』に重きを置くようです。
顔文字でも、欧米では「:P」(時計回りに90度回転させて見ると、舌を出した顔に見える)、「:D」(笑顔)のように口元の変化で感情を表し、日本では「(><)」「^^」のように目の変化で感情を表します。
このことから考えると、欧米の人は目元を隠すサングラスに抵抗がなく、日本の人は口元を覆うマスクに抵抗がないということもうなずけます」
取材:宮本由貴子=フロントラインプレス(FrontlinePress)所属