科学史・医学史の領域で研究を続けてきた住田氏は、新型コロナウイルス感染症の拡大を機に、マスクの歴史を調べ始めた。その時点でマスクの歴史に関する研究は、日本はもとより世界を見てもほとんどなかったという。そのため、過去の新聞や雑誌、小説、民俗について書かれた書籍などを片っ端から調べて、マスクに関する情報を丹念に集めることから研究は始まった。
「現在のマスクに直接つながるものが現れたのは1836年です。イギリスのジェフリーズという医師が、呼吸器疾患の人のための『レスピレーター(呼吸器)』として開発しました。これは今、私たちが使っているマスクと同じような形状で、鼻と口を布で覆い、両端に付けられた紐を耳にかけて使っていました。
ただし、中には格子状の金属が入っていて、息を吐くとそこで温度や湿度が保たれ、温かく湿った空気を吸うことができるという仕組みです。1862年の第2回ロンドン万国博覧会にも出品されています。
そのレスピレーターが1877年頃までに日本に入ってきました。少なくとも、1879年のレスピレーターの広告が資料として残っています。医療者や患者を対象としたものではなく、一般の人向けのもので、色は黒でした。東京など都会でのファッションアイテムとして人気を博しました」
意外なことに、140年以上も前の日本でマスクはトレンドアイテムだったのだ。
感染症予防のためにマスクを着けるようになったのは、それより遅く、1900年ごろから。人から人に伝染する「肺ペスト」が流行し、大阪で数名の医師やその家族が亡くなったことを契機に、医療者が感染症予防としてマスクを着けるようになる。そのマスクは白色が多かったという。
「ペストと関係があるかはわからないのですが、1898年から1902年にかけても東京でマスクの着用が流行しました。防寒の目的だったようです。
そして、1918年に始まったインフルエンザ(スペインかぜ)のパンデミックを機に、日本の多くの人が感染症予防のために使うようになりました。今と似たような状況ですね。
その後、防塵や防寒のために日常でも使われるようになりました。当時の写真などに鼻や口を布で覆った人々が多く登場します」
「日中戦争が始まり、国家総動員法が公布された1938年ごろには、生徒たちが学校でマスクを着けて戦地へ送る物資を作っている様子が雑誌に掲載されています。第2次世界大戦の後、学校給食を配膳する際に衛生管理としてマスクを使うようになったのは、その名残の可能性があります。