「失敗を過度に恐れる人」に知ってほしい7名言

29歳でピストンリングの会社を興して大失敗する。妻の物まで質屋に入れた。自動二輪の成功を引っ提げ、四輪乗用車の生産に乗り出したときも惨敗した。勝負をかけた軽自動車「N360」が大ヒットするが、宗一郎はここから地獄を見る。

アメリカで自動車の安全性をめぐる消費者運動が起こり、それが日本に飛び火。ベストセラーカーであるN360がターゲットにされた。同車が関係する死亡交通事故と欠陥性との因果関係をめぐり、消費者組織がホンダを東京地検へ告訴したのだ。不起訴処分にはなったが、N360は発売中止に追い込まれる。企業存亡の危機で宗一郎は再び起き上がる。世界に先駆け、アメリカの排出ガス規制をクリアするクリーンエンジンの開発に成功して海外に飛躍していく。

宗一郎に失敗は山ほどあっても挫折はない。挫折がなければ失敗は途中経過にすぎない。だから何度でも起き上がれる。リーダーが起き上がれば部下も組織もそれに続くのだ。

不安は気の持ちよう

4.ウォルト・ディズニー(ウォルト・ディズニー・カンパニーの共同創業者)
心配したって事態は良くならない。私もいろいろなことを心配するが、ダムからあふれる水までは心配しない。

心配と不安。この2つから逃れるのは難しい。「心配したって仕方がない、不安は気の持ちよう」──そう言い聞かせてみるが、人生に懸念を抱いているときなど心配と不安に押しつぶされそうになる。ウォルト・ディズニーもそうだった。貧しい幼年期。絵や漫画に魅せられ、アニメーターをへてウォルト・ディズニー・カンパニーを設立。資金繰り、著作権をめぐるトラブルなど、苦節と波乱を克服して「夢と魔法の王国」を築き上げていく。眠れぬ夜もあった。最善を尽くし、「やるだけやった」と自分に言い聞かせることで心配と不安を封じ込めようとした。

これで本当にうまくいくのだろうか? 最善を尽くしてなお、心配と不安は影のようにつきまとう。感情は理屈を超えた先にある。それが私たちだ。だが、それを認めた上でディズニーの言葉を噛みしてみる。最善を尽くしたのなら、もうあれこれ心配するのはよそうじゃないか──。気持ちが楽になってくる。

そしてディズニーはこうも言う。「失敗したからって何なのだ? 失敗から学びを得て、また挑戦すればいいじゃないか」。こうして不安は力に変わっていく。子どもたちに夢を与えるディズニー・カンパニーのリーダーは、大人の私たちには勇気を与えてくれるのだ。

5.マザー・テレサ(修道女・慈善活動家)
人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。それでも許しなさい。

私たちは「許す」が苦手だ。「責める」は得意で、大好きだ。そして「責める」は時として同調圧力となって人の心を抉る。コロナ禍で同調圧力が非難された。だが、非難そのものが「責める」であり、同調圧力になっていることに気がつかないでいる。

マザー・テレサは、それが人間なのだとする。不合理で、非論理的で、自己中心的である。それでも許せという。受け身ではない。寛容の心とは、「許す自分」は「許される自分」であることに気づいた先に芽生えるものなのである。

テレサはカトリック教会の修道女として、貧しい人々の救済に生涯を捧げた。1979年、ノーベル平和賞を受賞。授賞式には普段と同じ粗末な身なりで出席し、多額の賞金を手に「このお金でいくつのパンが買えますか」と問いかけ、全額をインド・カルカッタ(現コルカタ)の貧しい人々に捧げる。そして、世界平和のために私たちは何をなすべきか質問され、「家に帰って家族を愛してあげてください」と答えたのだった。

テレサは生涯をかけて「人間愛」を説いた。愛とは、お互いが弱さを認め合い、許し合うことを言う。そのことに気づいたとき、相手を見る目は確実に変わる。家庭で、職場で、地域コミュニティーで。人間関係はもっともっと素晴らしいものになることを、テレサは「許す」という言葉で生涯をかけて説いたのである。