むしろ、「自分の外側に誰かがいさえすれば孤独ではない」という考え方の人こそ孤独に苦しみます。
私は、ソロ社会の研究を通じて、現在「孤独学」の体系化をしています。昨年12月に上梓した『「一人で生きる」が当たり前になる社会(脳科学者中野信子さんとの共著)』でも「孤独は悪なのか?」について論じています。
とりわけ、現代の孤独の問題は、「つながり孤独」のほうが深刻になっています。「つながり孤独」とは、友達もいるし、SNS上でもたくさんの人とつながっているのに「私は孤独で、寂しい。誰も私のことなんかわかってくれない」と悩んでしまうことです。
こうした状態は、自分の外側の状態にだけ依存する性質によるものです。友達がいれば寂しくない、つねに恋人といれば寂しくない、大勢の集団の中にいれば寂しくない。
そう考えてしまうと、かえって友達や恋人や集団を主観的に確認できなければ寂しいのだという理屈づけをしてしまいます。それが嫌だから、誰かと一緒にいようとする。しかし、誰かと一緒だとまた孤独の感情が目の前に現れる。こうなると抜け出せない負のスパイラルに陥ります。
なぜ誰かと一緒にいるのに孤独を感じるのでしょうか。それは、人とのつながりは必ず孤独を生むからです。「孤独は人と人との間にある」とは、哲学者三木清氏の言葉ですが、人とつながれば、その人との間に必ず生まれるもの、それが「孤独」です。
孤独とは主観的な感情ですが、決して「寂しい」という感情だけではありません。例えば、誰かのホームパーティーに誘われて参加した場で、他の人たちが楽しそうに談笑している会話の中に入っていけないという状況は誰しも経験があるでしょう。
そんなとき、たくさんの人たちの集団の中にいるにもかかわらず、いいようのない「孤独感」を感じてしまうはずです。実は、それは、「寂しさ」というより、自分とは違って人見知りもせず、気軽にコミュニケーションがとれる人たちへの「羨ましさ」や「妬み」、その場に溶け込めない自分自身への「ふがいなさ」であったりする場合が多いのです。
誰かとの関係性で生じたそうした負の感情を、私たちは無意識に主観のみでとらえてしまいます。そうすると、人とかかわりをもつこと、すなわち孤独の感情を無理やり可視化させられるという恐怖を感じるようになります。
学校や仕事に行けば、否応なく人と接触するわけで、そんな状況ではいつしか、目の前すべてが暗黒の孤独感情に包まれていきます。それが「つながり孤独」というものの正体です。そんな苦しむくらいなら、いっそのこと「1人で家で過ごしていたほうがマシだ」と思ってしまうと、今度は物理的な引き込もりという状態に陥ります。
孤独と上手に付き合うということは、孤独の感情をコントロールすることではありません。発生した感情は仕方ないものです。それよりも、そうした感情を客観視して内に取り込む「孤独の内在化」が大事になります。
人と接したことで生まれた孤独の感情とは、その人と接したことで生まれた「新しい自分の姿」そのものなのです。Aさんと接すれば、Aさんと接したことで生まれた自分(感情)が必ずいます。それはいわば、あなたが誰かとつながったことで生み出した「新しいあなたの赤ちゃん」なのです。
せっかく生まれてきた赤ちゃんを自分の外側に放置しているから、「つらい・寂しい」とその子は泣き叫ぶのです。外側に放置しないでください。自分の内側に引き寄せ、ぎゅっと抱きしめてほしいのです。そこで生まれた孤独は、あなた自身が育てていくものなのです。
自分の感情を内在化させれば、客観的に感情を把握することができます。羨ましいとか妬ましいと思った感情もすべてあなた自身であると認識すればいいのです。