『源氏物語』は、「日本の文学史上最大のベストセラーで」、というようなことを言う人がいる。また、『源氏物語』は、平安朝の貴族世界の「雅び」の文学だと、思い込んでいる人もきっと多いことであろう。
こうした、いわば通俗な源氏観は、いずれも正しいとは言えない。
実際、これだけの大文学だから、昔からよく読まれていたのだと思い込んでいる人が多く、私が講演などで、いきなり「源氏はベストセラーどころか、どの時代でも、その読者は限りなくゼロに近かった」と話すと、吃驚(びっくり)したり憤慨したりする人がいる。
もうすこし詳しくこのあたりのことを説明すると、まず、『源氏物語』は、決して「今言う意味でのベストセラー」などではなかった、ということだ。平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代、そして近現代と、どの時代で観察してみても、この長大で難解な物語を自由に読める人など、限りなくゼロに近かったのである。ただ、ごく限られた貴族社会の人たちや、すぐれた知識階級の人士が、細々と読んでいたにすぎない。
そもそもが、中世以前は写本で伝えられていたにすぎないから、その本を実際に見ることができた人など寥々たる数であった。じっさい、『更級日記』にも、その冒頭で、
「世の中に物語といふ物のあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなるひるま、よひゐなどに、姉まま母などやうの人々の、その物語、かの物語、光る源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ」
とあって、東国上総の田舎で育った作者・菅原孝標の娘でも、なかなか源氏物語の本を見る機会のなかったことを嘆いている。まして、一般庶民においてをや、というものである。
これが、読もうと思えば努力しだいで誰でも読解できるようになったのは、江戸時代前期、延宝元年に成立した北村季吟の『湖月抄』という周到な注釈読解書が出版されて以後のことであった。
それとて、大本60冊にも及ぶ浩瀚(こうかん)な出版物で、おそらく今の貨幣価値にしたら、100万円くらいにはあたるほど高価なものだったろうから、それを買って自在に読める人は、やはりごく限られた数の知的・経済的エリートに限られたことであろう。図書館などもなかった当時、これまたその本にアクセスできた人の数が少数であったことは想像にかたくない。
だから、その時代時代で、この物語を直接に享受できた人の数などは、まさに寥々たる少数にすぎなかった。したがって、「多くの人に読まれた」という意味でのベストセラーというのには、まったく当たらないのである。
ただし、江戸時代には、『源氏小鏡』『源氏物語忍艸』のようなダイジェスト本やら、『雛鶴源氏物語』などの翻案物やら、葵上・夕顔・源氏供養・浮舟などの能、あるいは源氏を題材とする浮世絵のようなもの、そうしたもので、大衆は知っていたにすぎない。
あるいは、本居宣長や石川雅望のような人が私塾において源氏を講読したり、そういう形で江戸時代の庶民に細々と受容されていたのでもあった。
しかしながら、であるにもかかわらず、『源氏物語』はつねに文学の王道として1000年に余る年月を堂々と生き延びてきたのである。それはなぜか。