ベストセラーでない「源氏物語」が生き延びた訳

人間社会の懊悩をリアルに描いた文学

もし、この物語が、単に平安貴族の「雅び」な文学なのだとしたら、後世の人たちが読み伝えたはずはない。この物語は、雅びだの、優雅だの、そんな生易しい観念で片づくようなものではない。すこしでもこれを読み解いてみれば、そこにいかに生々しい、いかに切実な、いかに矛盾に満ちた人間世界の懊悩(おうのう)がリアルに描かれているかを知るであろう。

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男と女がいる。その男女関係は、時代によってさまざまに転変するけれども、しかし、根本にある「人を愛する切実な気持ち」や、それゆえに誰もが懐抱せざるをえない「愛するゆえの苦悩」やらということは、時代や身分などによって、がらっと変わるというものではない。

そういう心の切実なる動きをば、「もののあはれ」と言うとすれば、このことは時代や身分を超越して不易なのだ。本居宣長が愛して已(や)まなかったのも、まさにこの1点、すなわち人心の機微を、とりわけ恋というものの愛憎の表裏を、極めてリアリティーに富んだ筆致でつづった、その文学性の高さであった。

だから、ちょっとでもこの物語の奥の山道に踏み入ってみれば、これが恐るべき説得力に満ちて、時代を超越した見事な文学的結実であることを知るであろう。すると、なんとしてもこれを次世代の人にも伝えたい、多くの人に読ませたい、と誰もが思うだろう。

だからこそ『源氏物語』は、古今独往の偉大な、古典の中の古典と成りえたのである。