「トランプ批判」終始する米メディアが残念な訳

「イスラエルの『嘆きの壁』に行ったことがある人ならわかると思う。壁の前で祈りを捧げることができる女性用スペースはかなり狭く、それ以外はすべて男性用のスペース。これはアメリカのメディアの現状と同じだ。

つまり、女性が祈るその狭い場所に保守派のブライトバートやフォックス・ニュースなどのいくつかの報道機関があり、男性側にはCBS、ABC、NBC、ハフィントン・ポストやポリティコといったあらゆるリベラル派の報道機関がいる。これは大きな問題だ。たとえスペースの広さが逆だったとしても、こんなにはっきり分かれていること自体がおかしい」

ローガンは「自分にとってこの問題は、政治や政党支持に関することではない」と述べ、次のように続ける。

「ニューヨーク・タイムズ紙の元編集長、ジル・エイブラムソンは、最近の著書のなかでこう書いている。『私たちは毎日トランプについて何十本もの記事を書いているが、すべて否定的な記事だ。反トランプ派の主張を記録する新聞になってしまった』。本来、それは私たちの仕事ではない。

報道と政治的な立場は別もののはずだ。それなのに、私たちはまるで政治活動家になってしまった。プロパガンダを宣伝するツールになってしまったと言ってもいい。

もちろん、メディアには優れた点もあり、ルールとまでは言えないが、何かを伝える際には少なくとも二つの情報源から直接情報を入手するという慣習がある。そうすることで、一定の基準を満たす報道になる。ところが、こうした基準はもはや重視されない。

みなさんはたった一人の匿名の政府関係者や元政府関係者の証言に基づく報道を読んだり聞いたりしている。それはジャーナリズムではない」

ジャーナリスト仲間から追放された

しかし、ジャーナリストが同業者の仲間と手を切ってわが道を行くことはめったにない。そんなことをすれば、通常、そのジャーナリストのキャリアは台無しになるか、ほかの同業者から脅かされてしまうからだ。事実、このインタビューが広まったことで、ローガンはジャーナリスト仲間から追放され、個人攻撃を受けるようになった。

2018年1月15日、ベテラン報道記者でありコラムニストのアンドリュー・マルコムは、「アメリカの政治ジャーナリズムの残念な現状」として、メディアは徹底的かつ明白にトランプ批判を繰り広げ、人々の感情をあおって分断を生み出していると語った。

記事のタイトルは、「トランプ批判に熱中するメディアが国民の怒りと疑いに火をつける」。その中でマルコムはこう述べている。

「現在の政治ジャーナリズムのほとんどは、ドナルド・トランプ大統領に反論するために、恣意的に選んだ記事や引用や背景情報を使ったり、あるいはあえて使わなかったりして、大衆をあおる報道をしている。

たいていの場合、批判の中心はトランプが行ったこと、行うと言ったことである。あるいは、一般的には素性を明かさない第三者が『トランプがこうするかもしれない』『する可能性がある』と言ったことだ。

そしてジャーナリストたちは芝居がかった様子で、反トランプ派が予想通りに撤回を求めて怒りの言葉を吐くことを待ちかまえ、その様子を取材しようと駆けつける」

報道機関やジャーナリストたちがそんなふうに振る舞うのなら、彼らは「アメリカ国民に、広く議論すべき事実を伝えていないことになる」とマルコムは言う。

「単に反トランプ派の活動のためのネタや、物議を醸すような攻撃材料を与えているだけだ……ワシントンのメディアは、大統領の発言をチェックする義務があると主張する。それは正しい。だが残念ながら、メディアはオバマ元大統領の言葉とトランプ大統領の言葉に同じ方法を当てはめるつもりはないようだ。