例えば、喫煙者の多くは、タバコへの渇望をもたらしているのはニコチンだと考えている。
間違いではないが、まったく正しいわけでもない。ニコチンは神経を刺激し、多幸感をもたらすが、客室乗務員を被験者とする実験により、タバコへの渇望は、かつて考えられていたほどにはニコチンとは関係のないことが明らかになった。
この実験では、タバコを吸う客室乗務員の2つのグループを、イスラエルから別々の旅客機で送り出した。一方のグループは、3時間のフライトでヨーロッパへ、もう一方のグループは10時間のフライトでニューヨークへ向かった。もちろん、客室乗務員がフライト中にタバコを吸うことは禁止されている。両グループは、フライトの前と途中と後で、タバコへの渇望の度合いを点数で記録するように指示された。
もし、ニコチンが脳に及ぼす影響だけが原因なら、どちらのグループも、最後にタバコを吸ってから同じ時間が経つとタバコを吸いたくなり、時間が経てば経つほど、彼らの脳はニコチンを科学的に渇望するようになるはずだ。だが、事実は違った。
ヨーロッパに向かった客室乗務員たちは、ヨーロッパに到着したときに、タバコへの渇望がピークに達していた。一方、ニューヨークへ向かった旅客機は、その時間にはまだ大西洋上にあり、客室乗務員たちが報告した渇望の度合いは弱かった。なぜそんな差が出たのだろうか。
ニューヨーク行きの便に乗っていた客室乗務員のタバコへの渇望が最も強かったのは、目的地が近づいたときだった。飛行時間と最後に喫煙してからの時間は、渇望の程度には影響しなかった。
実は、渇望に影響したのは、最後に喫煙してからの時間ではなく、次に喫煙できるまでの時間だった。もし、この研究が示すとおり、ニコチンのように中毒性があるものへの渇望をコントロールできるのなら、ほかの不健康な欲求も、脳をだますことでコントロールできるのではないだろうか。ありがたいことに、そのとおりなのだ。
ある種の欲求は、その対象についての考え方を変えることで、完全に鎮めることはできなくても、和らげることができる。頭に浮かぶ感情や考えをコントロールすることはできないが、それに対してとる行動はコントロールできる。ブリッカーが行った、ACTを利用する禁煙プログラムの研究が示唆するのは、私たちは渇望を抑え込む方法ではなく、うまく対処する方法を学ばなければならない、ということだ。それは、スマホを頻繁にチェックしたり、ジャンクフードを食べたり、買い物をしすぎたりといった衝動についても言える。
衝動と戦うのではなく、頭に侵入してくる思考に、より効果的な方法で対処する方法がある。次に挙げる4つのステップはその助けになるだろう。
執筆中の私をしばしば妨害するのは、何かをグーグルで検索したいという衝動だ。それが難しい仕事から逃れるための口実であることを、私はよくわかっている。ブリッカーが勧めるのは、不安、渇望、落ち着かない気分、無力感といった、注意散漫の前に現れる不快な感情に注意を払うことだ。
ブリッカーは、その不快な感情、すなわち、内部誘因を書きだすことを勧める。その後あなたが誘因に屈したかどうかは関係ない。注意散漫につながる不快な感情に気づいたらすぐ、そのときに自分が何をしていたか、どう感じたかを紙に書きだす。
ブリッカーによると、人は、外部誘因には気づきやすいが、「重要な内部誘因に気づけるようになるには、いくらかの時間と努力を要する」。ブリッカーは、その衝動について客観的に語ることを勧める。例えば、「緊張を感じた。私はアイフォーンに手を伸ばそうとしている」というように、第三者であるかのように、自分に語り聞かせるのがコツだ。そうした行動に気づけるようになれば、やがてそれをコントロールできるようになる。「不安は消え、その感情は弱くなるか、ほかの感情に取って代わられる」とブリッカーは記している。