1980年代に食品包装である重要な技術革新が起きます。それは、最先端の包装技術を駆使することによって、ポテトチップスの酸化による劣化を防ぐことが可能になったからです。つまり、従来は「ポテトチップスの劣化」という問題が存在し、カルビーは「設備投資」によってこの問題を克服することで圧倒的なシェアを握る原動力になっていましたが、このシナリオが崩れることを意味しました。
このため、カルビーが全国津々浦々に設けた製造物流拠点は、ポテトチップス業界での競争において、その重要性が低下してしまいました。つまり、カルビーにとって競争優位の源泉であった強みが、強みではなくなってしまったのです。
加えて追い討ちをかけるように、カルビーに国内の人口減少という変化が襲い掛かります。人口減少というトレンドの中では、たとえトップシェアを同じ水準で維持していたとしても、売上高は減少してしまいます。
カルビーにとっての不幸は、かつて、ポテトチップスの鮮度を維持するために全国に分散配置した製造物流拠点が、逆に、重い固定費になってしまったことです。人口が増加する前提で全国に配置された工場は、人口が減少する中では「不要不急」な存在となり、カルビーは重たい固定費に悩む会社へと変化してしまったのです。
ところが、カルビーの社内には危機感は薄く、抜本的な解決策はとられないままでした。1990年代から2000年代にかけてのカルビーは、ポテトチップスではシェアトップを確保するものの、収益性の改善が先送りされました。当時のカルビーは非上場企業だったという事情もありますが、解決策が講じられないまま時間が経過し、シェアトップにも関わらず低い利益率という、不思議な会社になってしまいました。
この結果、カルビーは、かつての強みであった「全国に分散配置された製造物流拠点」が、逆に弱みになってしまい、危機的な状況に陥ります。2009年3月期の売上高営業利益率3.2%という低い水準も、工場の稼働率が低すぎることが根本的な要因でした。
そんなカルビーに代表取締役会長兼CEOとして迎えられたのが、医療機器メーカー・ジョンソン・エンド・ジョンソンの日本法人の社長であった松本晃氏です。
松本会長がカルビーの改革に着手した時点で、カルビーは粗利率が低いという問題を抱えていました。
ポテトチップス2社の2009年時点でのコスト構造を比較すると、カルビーは粗利率が35.1%であるのに対し、湖池屋の粗利率は42.4%。カルビーの粗利率35.1%は食品の一般的な上場企業の水準と比べても「劣った水準」であり、早急な対処が必要でした。
そこで、松本会長が取り組んだのは、粗利率を改善するために工場稼働率を上げることでした。当時のカルビーの工場稼働率は低い水準にとどまっており、これがカルビーの粗利率を低下させる大きな要因だったため、松本会長は「工場稼働率の向上」に取り組みます。
その上で、稼働率をあげたことで増産されたポテトチップスの売れ行きを伸ばすために、カルビーはポテトチップスの値下げを決断します。この結果、カルビーはポテトチップスでのシェアを湖池屋などの同業他社から奪うことに成功しました。
この間のカルビーの具体的な打ち手は、拙著『20社のV字回復でわかる「危機の乗り越え方」図鑑』で詳しく解説していますが、カルビーは松本会長による「数値経営」によって、カルビーの経営再建を推し進めます。
この結果、カルビーは営業利益率を大きく改善し、2015年3月期には売上高2221億円、売上高営業利益率10.9%を記録。大手食品メーカーとしてグローバル優良企業の水準である10%超えを達成しました。特に、粗利率の改善成果は顕著で、2009年3月期の35.1%から、6年後の2015年3月期には43.9%を達成し、約9%ものコスト改善に成功したのです。